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<title>ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)</title>
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<description>フィールドオブドリームの時にシューレスジョーと並んで読んだ本。非常に不思議な本でしたが、やはり青春の本であり、中高生くらいに読むのがよいのでしょう。確かに当時は村上春樹（ノルウェイの森）と村上龍（愛...</description>
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フィールドオブドリームの時にシューレスジョーと並んで読んだ本。非常に不思議な本でしたが、やはり青春の本であり、中高生くらいに読むのがよいのでしょう。確かに当時は村上春樹（ノルウェイの森）と村上龍（愛と…のファシズム）が流行っている時代であり、なんとなく共通性は持っていませんでしたが、気持ちもフィールドオブドリームスの映画のアイテムの１つとして読んだため、さほど感動はしませんでした。青春小説かなという感じです。禁書となったとされた本書の取り扱いに対し、ＰＴＡのおばさんに対し、「スターリン…」と叫んでいた奥さんの意味、わかったような気がしました。今ではさほど衝撃的ではないですが、時代性を感じます。レビューを書こうと思ったら、すでに２３５ものレビューがあって、一瞬ひるんだ。
しかし、俺には俺の見方がある。
著者のJ.D.サリンジャーは今年、２０１０．１．２７に亡くなった。これを機会に新聞のコラムやエッセー欄にサリンジャー賛辞の記事が沢山出た。青春小説の傑作だそうで、落合恵子とか、若者に説教したがり屋が特に褒めちぎっていた。そこで俺も読んでみようと思った。断っておくが、俺は７５歳のじじいだ。翻訳は野崎孝のものが名訳ということになってるらしい。
読み始めて、まず感じたのは外国映画の日本語吹き替えのあの妙なイントネーションだ。この妙なイントネーションは芸人の友近が「ディラン＆キャサリン」というペアで売り出していて、俺は感心していた。この二人はまさに日本語吹き替え映画のせりふのいやらしさを見事にあらわしている。
さて、本題だが１６歳の少年が、余りのはみ出しぶりに名門高校を退学になり、家に帰るまでの数日間、大人の真似をして、酒を飲んだり、娼婦を買おうとしたり、先生の家に遊びにいったりしながら、ぼろぼろになって、家にたどり着くまでの間に、色々考えたり、人物にいてこき下ろしたりしながら、彼の考えを述べる。これがまさに的を射ているんだな。彼は、別に論理的とか倫理的とかに考えて、人物に対する判断をおろしているわけではないが、まさに直感的に、こいつは胡散臭い奴だとか、偽善者だとかわかるんだ。でも、自分の亡くなった弟や，推さない妹は深く愛していて、心を打たれる。おれ自身も青春時代とはいわず、４０・５０・６０になっても（俺は会社員だった）上役・同役・下役のインチキ性を身をもって感じていたから、主人公の直感がよくわかるんだ。
柄にもなく、野崎さんの翻訳口調をちょいと真似したが、彼の翻訳の足元にも及ばないことはよく承知している。ホールデンは、自分以外の他者を理解出来ない、未熟で短絡的な人々だと考えている。
そして、そういった他者に溶け込みたくないと思いながらも、溶け込んでいない自分も未熟だということを心の奥底では解っている。
その“はざま”でホールデンが何を考え、感じ、話したかがこの本の魅力なんだと思う。

そしてそういった未熟さに思いを巡らせる人の多くは、ティーンに近い世代だからこの本は青春小説というフレーズで度々紹介されている。

野崎氏の訳も読みましたが、野崎氏のホールデンはもっと内的で、でもとても純粋不器用な、ごくごく普通の少年が一生懸命に言葉を紡いでいたように感じたから私は感動しました。

春樹氏のホールデンは、他人とは違う自分として躍起になって言葉を取り繕っている少年に思える。
そういった言葉の使い方は、少し擦れていて、飾り過ぎているかな？と思えました。
だから共感に達しないというか、物足りなく感じてしまっていました。

ホールデンの不器用さを違った形で表現しようとしたのなら、春樹氏の訳は頭から否定出来たものじゃないと思います。

テクストに正解はなく、翻訳に正解はなければ良し悪しで評価を下せるものではない。

どちらが好きか嫌いか、それは読んだ方が決めることです。

私は野崎氏の素直で不器用なホールデンが好きなのでこの評価です。
この小説の時代１９５０年代はロボトミーや電気ショックが普通であった精神病院で幕開けします。
精神を病んでいるとされた少年の独白です。
あのスコットランド民謡とボクサーを頭の中でがんがん回しながら、宮沢賢治が好んで描いた野原を子供たちが走り回る。
そこは子供たちの背丈を遙かに超えるライ麦畑（Rye-Lie)です。
実は読むまでは民謡の通りのストーリーかと思っていました。
ところが読んでみると高校中退、精神病院入院、女性の正常な？関係を持てずじまいと言った友人たちに囲まれた私には、とても痛い内容でした。
少し残念なことは主人公が所謂頭のいい子であることです。
唯一コミュニケーションが成立した妹のストレートな行動が、主人公を救い、読者も救ってくれます。
しかし、閉幕も精神病院です。
正常と異常、病人と健常者。
ドロップアウトしちゃったかなと思う人にお勧めです。
塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い藪や坂のある路が、細細と一すじ断続している。…………十代から五十代の現在まで、１０年に一度くらい読み返してます。
読む年齢によって、読後感がすごく変わります。
昔は、ホールデンに全面的に共感したりもしたけど、今の年齢で読むと、これだけ感受性のかたまりのようだと生きるのはつらかろうなあ・・・と、ホールデンに対してなんだかせつない気持ちを覚える。そりゃ世の中イヤな奴と頭の悪いボンクラばっかだけど、でも人間ってさ、みんなが君みたいに優秀なわけじゃないんだよホールデン君。そういう感想になっちゃう。
僕もオヤジになったってことか。
作者サリンジャーが、これを書いたあと６０年も生きたっていうのがなんだかすごい。1951年に『ライ麦畑でつかまえて』で登場してからというもの、ホールデン・コールフィールドは「反抗的な若者」の代名詞となってきた。ホールデン少年の物語は、彼が16歳のときにプレップ・スクールを放校された直後の生活を描き出したものだが、そのスラングに満ちた語り口は今日でも鋭い切れ味をもっており、ゆえにこの小説が今なお禁書リストに名を連ねることにもつながっている。物語は次の一節で語りだされる。 ――もし君が本当に僕の話を聞きたいんだったら、おそらく君が最初に知りたいのは、僕がどこで生まれただとか、しみったれた幼年時代がどんなものだったかとか、僕が生まれる前に両親はどんな仕事をしていたかなんていう「デビッド・カッパーフィルド」調のやつなんだろうけど、僕はそんなこと話す気になんてなれないんだな。第1、そんなの僕自身退屈なだけだし、第2に、もし僕が両親についてひどく私的なことでも話したとしたら、2人ともそれぞれ2回ずつくらい頭に血を上らせることになってしまうからね――。ホールデン少年は、教師をはじめとしてインチキなやつら（いうまでもなくこの両者は互いに相容れないものではない）と遭遇することになるのだが、こうした人物に向けられる風刺がきいた彼の言葉の数々は、10代の若者が誰しも味わう疎外感の本質をしっかりと捉えている。
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<title>キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)</title>
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フィールドオブドリームの時にシューレスジョーと並んで読んだ本。非常に不思議な本でしたが、やはり青春の本であり、中高生くらいに読むのがよいのでしょう。確かに当時は村上春樹（ノルウェイの森）と村上龍（愛と…のファシズム）が流行っている時代であり、なんとなく共通性は持っていませんでしたが、気持ちもフィールドオブドリームスの映画のアイテムの１つとして読んだため、さほど感動はしませんでした。青春小説かなという感じです。禁書となったとされた本書の取り扱いに対し、ＰＴＡのおばさんに対し、「スターリン…」と叫んでいた奥さんの意味、わかったような気がしました。今ではさほど衝撃的ではないですが、時代性を感じます。レビューを書こうと思ったら、すでに２３５ものレビューがあって、一瞬ひるんだ。
しかし、俺には俺の見方がある。
著者のJ.D.サリンジャーは今年、２０１０．１．２７に亡くなった。これを機会に新聞のコラムやエッセー欄にサリンジャー賛辞の記事が沢山出た。青春小説の傑作だそうで、落合恵子とか、若者に説教したがり屋が特に褒めちぎっていたそこで俺も読んでみようと思った。断っておくが、俺は７５歳のじじいだ。翻訳は野崎孝のものが名訳ということになってるらしい。
読み始めて、まず感じたのは外国映画の日本語吹き替えのあの妙なイントネーションだ。この妙なイントネーションは芸人の友近が「ディラン＆キャサリン」というペアで売り出していて、俺は感心していた。この二人はまさに日本語吹き替え映画のせりふのいやらしさを見事にあらわしている。
さて、本題だが１６歳の少年が、余りのはみ出しぶりに名門高校を退学になり、家に帰るまでの数日間、大人の真似をして、酒を飲んだり、娼婦を買おうとしたり、先生の家に遊びにいったりしながら、ぼろぼろになって、家にたどり着くまでの間に、色々考えたり、人物についてこき下ろしたりしながら、彼の考えを述べる。これがまさに的を射ているんだな。彼は、別に論理的とか倫理的とかに考えて、人物に対する判断をおろしているわけではないが、まさに直感的に、こいつは胡散臭い奴だとか、偽善者だとかわかるんだ。でも、自分の亡くなった弟や，推さない妹は深く愛していて、心を打たれる。おれ自身も青春時代とはいわず、４０・５０・６０になっても（俺は会社員だった）上役・同役・下役のインチキ性を身をもって感じていたから、主人公の直感がよくわかるんだ。
柄にもなく、野崎さんの翻訳口調をちょいと真似したが、彼の翻訳の足元にも及ばないことはよく承知している。ホールデンは、自分以外の他者を理解出来ない、未熟で短絡的な人々だと考えている。
そして、そういった他者に溶け込みたくないと思いながらも、溶け込んでいない自分も未熟だということを心の奥底では解っている。
その“はざま”でホールデンが何を考え、感じ、話したかがこの本の魅力なんだと思う。

そしてそういった未熟さに思いを巡らせる人の多くは、ティーンに近い世代だからこの本は青春小説というフレーズで度々紹介されている。

野崎氏の訳も読みましたが、野崎氏のホールデンはもっと内的で、でもとても純粋不器用な、ごくごく普通の少年が一生懸命に言葉を紡いでいたように感じたから私は感動しました。

春樹氏のホールデンは、他人とは違う自分として躍起になって言葉を取り繕っている少年に思える。
そういった言葉の使い方は、少し擦れていて、飾り過ぎているかな？と思えました。
だから共感に達しないというか、物足りなく感じてしまっていました。

ホールデンの不器用さを違った形で表現しようとしたのなら、春樹氏の訳は頭から否定出来たものじゃないと思います。

テクストに正解はなく、翻訳に正解はなければ良し悪しで評価を下せるものではない。

どちらが好きか嫌いか、それは読んだ方が決めることです。

私は野崎氏の素直で不器用なホールデンが好きなのでこの評価です。
この小説の時代１９５０年代はロボトミーや電気ショックが普通であった精神病院で幕開けします。
精神を病んでいるとされた少年の独白です。
あのスコットランド民謡とボクサーを頭の中でがんがん回しながら、宮沢賢治が好んで描いた野原を子供たちが走り回る。
そこは子供たちの背丈を遙かに超えるライ麦畑（Rye-Lie)です。
実は読むまでは民謡の通りのストーリーかと思っていました。
ところが読んでみると高校中退、精神病院入院、女性との正常な？関係を持てずじまいと言った友人たちに囲まれた私には、とても痛い内容でした。
少し残念なことは主人公が所謂頭のいい子であることです。
唯一コミュニケーションが成立した妹のストレートな行動が、主人公を救い、読者も救ってくれます。
しかし、閉幕も精神病院です。
正常と異常、病人と健常者。
ドロップアウトしちゃったかなと思う人にお勧めです。
塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い藪や坂のある路が、細細と一すじ断続している。…………十代から五十代の現在まで、１０年に一度くらい読み返してます。
読む年齢によって、読後感がすごく変わります。
昔は、ホールデンに全面的に共感したりもしたけど、今の年齢で読むと、これだけ感受性のかたまりのようだと生きるのはつらかろうなあ・・・と、ホールデンに対してなんだかせつない気持ちを覚える。そりゃ世の中イヤな奴と頭の悪いボンクラばっかだけど、でも人間ってさ、みんなが君みたいに優秀なわけじゃないんだよホールデン君。そういう感想になっちゃう。
僕もオヤジになったってことか。
作者サリンジャーが、これを書いたあと６０年も生きたっていうのがなんだかすごい。1951年に『ライ麦畑でつかまえて』で登場してからというもの、ホールデン・コールフィールドは「反抗的な若者」の代名詞となってきた。ホールデン少年の物語は、彼が16歳のときにプレップ・スクールを放校された直後の生活を描き出したものだが、そのスラングに満ちた語り口は今日でも鋭い切れ味をもっており、ゆえにこの小説が今なお禁書リストに名を連ねることにもつながっている。物語は次の一節で語りだされる。 ――もし君が本当に僕の話を聞きたいんだったら、おそらく君が最初に知りたいのは、僕がどこで生まれただとか、しみったれた幼年時代がどんなものだったかとか、僕が生まれる前に両親はどんな仕事をしていたかなんていう「デビッド・カッパーフィルド」調のやつなんだろうけど、僕はそんなこと話す気になんてなれないんだな。第1、そんなの僕自身退屈なだけだし、第2に、もし僕が両親についてひどく私的なことでも話したとしたら、2人ともそれぞれ2回ずつくらい頭に血を上らせることになってしまうからね――。ホールデン少年は、教師をはじめとしてインチキなやつら（いうまでもなくこの両者は互いに相容れないものではない）と遭遇することになるのだが、こうした人物に向けられる風刺がきいた彼の言葉の数々は、10代の若者が誰しも味わう疎外感の本質をしっかりと捉えている。
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フィールドオブドリームの時にシューレスジョーと並んで読んだ本。非常に不思議本でしたが、やはり青春の本であり、中高生くらいに読むのがよいのでしょう。確かに当時は村上春樹（ノルウェイの森）と村上龍（愛と…のファシズム）が流行っている時代であり、なんとなく共通性は持っていませんでしたが、気持ちもフィールドオブドリームスの映画のアイテムの１つとして読んだため、さほど感動はしませんでした。青春小説かなという感じです。禁書となったとされた本書の取り扱いに対し、ＰＴＡのおばさんに対し、「スターリン…」と叫んでいた奥さんの意味、わかったような気がしました。今ではさほど衝撃的ではないですが、時代性を感じます。レビューを書こうと思ったら、すでに２３５ものレビューがあって、一瞬ひるんだ。
しかし、俺には俺の見方がある。
著者のJ.D.サリンジャーは今年、２０１０．１．２に亡くなった。これを機会に新聞のコラムやエッセー欄にサリンジャー賛辞の記事が沢山出た。青春小説の傑作だそうで、落合恵子とか、若者に説教したがり屋が特に褒めちぎっていた。そこで俺も読んでみようと思った。断っておくが、俺は７５歳のじじいだ。翻訳は野崎孝のものが名訳ということになってるらしい。
読み始めて、まず感じたのは外国映画の日本語吹き替えのあの妙なイントネーションだ。この妙なイントネーションは芸人の友近が「ディラン＆キャサリン」というペアで売り出していて、俺は感心していた。この二人はまさに日本語吹き替え映画のせりふのいやらしさを見事にあらわしている。
さて、本題だが１６歳の少年が、余りのはみ出しぶりに名門高校を退学になり、家に帰るまでの数日間、大人の真似をして、酒を飲んだり、娼婦を買おうとしたり、先生の家に遊びにいったりしながら、ぼろぼろになって、家にたどり着くまでの間に、色々考えたり、人物についてこき下ろしたりしながら、彼の考えを述べる。これがまさに的を射ているんだな。彼は、別に論理的とか倫理的とかに考えて、人物に対する判断をおろしているわけではないが、まさに直感的に、こいつは胡散臭い奴だとか、偽善者だとかわかるんだ。でも、自分の亡くなった弟や，推さない妹は深く愛していて、心を打たれる。おれ自身も青春時代とはいわず、４０・５０・６０になっても（俺は会社員だった）上役・同役・下役のインチキ性を身をもって感じていたから、主人公の直感がよくわかるんだ。
柄にもなく、野崎さんの翻訳口調をちょいと真似したが、彼の翻訳の足元にも及ばないことはよく承知している。ホールデンは、自分以外の他者を理解出来ない、未熟で短絡的な人々だと考えている。
そして、そういった他者に溶け込みたくないと思いながらも、溶け込んでいない自分も未熟だということを心の奥底では解っている。
その“はざま”でホールデンが何を考え、感じ、話したかがこの本の魅力なんだと思う。

そしてそういった未熟さに思いを巡らせる人の多くは、ティーンに近い世代だからこの本は青春小説というフレーズで度々紹介されている。

野崎氏の訳も読みましたが、野崎氏のホールデンはもっと内的で、でもとても純粋不器用な、ごくごく普通の少年が一生懸命に言葉を紡いでいたように感じたから私は感動しました。

春樹氏のホールデンは、他人とは違う自分として躍起になって言葉を取り繕っている少年に思える。
そういった言葉の使い方は、少し擦れていて、飾り過ぎているかな？と思えました。
だから共感に達しないというか、物足りなく感じてしまっていました。

ホールデンの不器用さを違った形で表現しようとしたのなら、春樹氏の訳は頭から否定出来たものじゃないと思います。

テクストに正解はなく、翻訳に正解はなければ良し悪しで評価を下せるものではない。

どちらが好きか嫌いか、それは読んだ方が決めることです。

私は野崎氏の素直で不器用なホールデンが好きなのでこの評価です。
この小説の時代１９５０年代はロボトミーや電気ショックが普通であった精神病院で幕開けします。
精神を病んでいるとされた少年の独白です。
あのスコットランド民謡とボクサーを頭の中でがんがん回しながら、宮沢賢治が好んで描いた野原を子供たちが走り回る。
そこは子供たちの背丈を遙かに超えるライ麦畑（Rye-Lie)です。
実は読むまでは民謡の通りのストーリーかと思っていました。
ところが読んでみると高校中退、精神病院入院、女性との正常な？関係を持てずじまいと言った友人たちに囲まれた私には、とても痛い内容でした。
少し残念なことは主人公が所謂頭のいい子であることです。
唯一コミュニケーションが成立した妹のストレートな行動が、主人公を救い、読者も救ってくれます。
しかし、閉幕も精神病院です。
正常と異常、病人と健常者。
ドロップアウトしちゃったかなと思う人にお勧めです。
塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い藪や坂のある路が、細細と一すじ断続している。…………十代から五十代の現在まで、１０年に一度くらい読み返してます。
読む年齢によって、読後感がすごく変わります。
昔は、ホールデンに全面的に共感したりもしたけど、今の年齢で読むと、これだけ感受性のかたまりのようだと生きるのはつらかろうなあ・・・と、ホールデンに対してなんだかせつない気持ちを覚える。そりゃ世の中イヤな奴と頭の悪いボンクラばっかだけど、でも人間ってさ、みんなが君みたいに優秀なわけじゃないんだよホールデン君。そういう感想になっちゃう。
僕もオヤジになったってことか。
作者サリンジャーが、これを書いたあと６０年も生きたっていうのがなんだかすごい。1951年に『ライ麦畑でつかまえて』で登場してからというもの、ホールデン・コールフィールドは「反抗的な若者」の代名詞となってきた。ホールデン少年の物語は、彼が16歳のときにプレップ・スクールを放校された直後の生活を描き出したものだが、そのスラングに満ちた語り口は今日でも鋭い切れ味をもっており、ゆえにこの小説が今なお禁書リストに名を連ねることにもつながっている。物語は次の一節で語りだされる。 ――もし君が本当に僕の話を聞きたいんだったら、おそらく君が最初に知りたいのは、僕がどこで生まれただとか、しみったれた幼年時代がどんなものだったかとか、僕が生まれる前に両親はどんな仕事をしていたかなんていう「デビッド・カッパーフィルド」調のやつなんだろうけど、僕はそんなこと話す気になんてなれないんだな。第1、そんなの僕自身退屈なだけだし、第2に、もし僕が両親についてひどく私的なことでも話したとしたら、2人ともそれぞれ2回ずつくらい頭に血を上らせることになってしまうからね――。ホールデン少年は、教師をはじめとしてインチキなやつら（いうまでもなくこの両者は互いに相容れないものではない）と遭遇することになるのだが、こうした人物に向けられる風刺がきいた彼の言葉の数々は、10代の若者が誰しも味わう疎外感の本質をしっかりと捉えている。
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<item rdf:about="http://c-book-011.book-fun.com/detail/04/4102122028.html">
<title>人間の土地 (新潮文庫)</title>
<link>http://c-book-011.book-fun.com/detail/04/4102122028.html</link>
<dc:date>2010-03-08T22:07:56+09:00</dc:date>
<dc:creator></dc:creator>
<description>「彼は地図をひろげ、匪賊の侵攻を、さながら美しい王女様の伝説でも語るように、示された」
 死は生を際だたせる光だ。自ら進んで死と共に生きることがゆるされた時代のおとぎ話。
ああ、なんておもしろいのだ...</description>
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<![CDATA[
「彼は地図をひろげ、匪賊の侵攻を、さながら美しい王女様の伝説でも語るように、示された」
 死は生を際だたせる光だ。自ら進んで死と共に生きることがゆるされた時代のおとぎ話。
ああ、なんておもしろいのだろう。
胸がときめく。高鳴る。
翻訳した堀口大学の、わざと引っかかりを作ったような日本語も、読者の冒険への憧れをつのらせる。
雲海の上、静寂を突っ切って飛ぶ心持ちや、遠い空港からの通信。危険な旅に命を落としてゆく僚友たち。
「冒険」という言葉が人の心に呼び起こす高揚や儚さ、果てのない広がりが、この１冊にすべて収まっている。
表紙をかざる宮崎駿のイラストもいい。
わたしが男の子で、１５歳のときこの本に出会っていたら、飛行機乗りをめざすか、叶わないなら飛行機乗りの登場す冒険活劇を作りたいと思ったにちがいない。１０年前に読んだら意味がよくわからなかったけど、今なら十分理解できます。聖書が「book of books」といわれることも納得ですね。内容については他のレビュアーの方が書かれている通り、素晴らしいものです。一度で終わらず、事ある度に読み返したりしています。この本は基本的にはサン=テグジュペリの自伝です。なのに、タイトルは「人間の土地」。それに、内容は、飛行家としての体験、行く先々で出会った人間や同僚の話ばかり。なぜ、このタイトルなのか?それを悟ったとき、なにか新しい目を持ったような気がしました。是非読むことをお勧めします。「経験は僕らに教えてくれる、愛するということは、お互いに顔を見あうことではなくて、一緒に同じ方向を見ることだと」。

フランス文学の代表的な名著のひとつ。最初に私が本書を読んだのはもう20年以上前のことだ。しかし、本物は時代を経ても色あせない。飛んで、戦って、愛して、生きたサンテグジュペリの魂が、本書を開くたびにまた新しい勇気をくれる。「救いは一歩踏み出すことだ。さてもう一歩。そしてこの同じ一歩を繰り返すのだ」。そして、ああ、そうだった、まだ何かでることはあるかな、と思う。

気の利いた言葉をくれる書物は巷に溢れている。しかし、「ぼくは、死を軽んじることを大したことだとは思わない」などと断言する知識人が現代に何人いるだろう。本書と、ヤワな自己啓発本や机上理論だけの哲学書の違いは、実はかなりはっきりしている。

「人間と、そのさまざまな欲求を理解するためには、人間を、そのもつ本質的なものによって知るためには、諸君の本然の明らかな相違を、お互いに対立させあってはいけない」。サンテグジュペリの著作は若いころにいろいろ読んだが、一冊となるとやはりこの本に行き着く。訳は確かにもう古いかもしれない。ただ、だからといって本書の価値が失われているわけではない。
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<item rdf:about="http://c-book-011.book-fun.com/detail/05/4102057013.html">
<title>ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)</title>
<link>http://c-book-011.book-fun.com/detail/05/4102057013.html</link>
<dc:date>2010-03-08T22:07:56+09:00</dc:date>
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<description> 全編を通して、目に見えるもの、耳に聞こえるものしか描かれていない。 
登場人物の心中は一切書かれず、動作と会話の描写だけ。読者はそれから何かを読み取るしかな。 
でも、それは人間が現実で日常的にや...</description>
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 全編を通して、目に見えるもの、耳に聞こえるものしか描かれていない。 
登場人物の心中は一切書かれず、動作と会話の描写だけ。読者はそれから何かを読み取るしかな。 
でも、それは人間が現実で日常的にやっている事の筈だ。 

 漫画等が受け入れられやすいのは、登場人物の心情が描かれるからだろう。 
モノローグが多いほど人物を理解し易く、感情移入し易い。つまり感動し易い。 
そういう近道を一切排除したサリンジャーの作品群。 

 この作品に続く「フラニーとゾーイー」「シーモア―序章―」を読めば、理解が深まると思う。 
「ナイン・ストーリーズ」に登場する人物のうち何人かが血縁関係にある事が解るので。 
「バナナフィッシュにうってつけの日」の主人公は、七人兄弟姉妹の第一子。 
「コネティカットのひょこひょこおじさん」の主人公の亡き恋人は双子で第四子か第五子。 
「小舟のほとりで」の少年の母親は第三子。
 全員が、普通の両親のもとに生まれた天才という名の畸形児。

 吉田秋生氏の「BANANA FISH」への引用は有名だが、
鴨居まさね氏の「秘書・恵純18歳」の主人公の名前も「エズミに捧ぐ」からだろう。
探せばまだまだ出てきそうな気がする。

 サリンジャーの訃報を聞き、本当に寂しく思う。
人生の半ばで、モノローグだけでなく言葉で表現することからさえも卒業してしまった彼の遺品から、
完璧な「グラース・サーガ」が発見されないかと、そればかり願っている。今日、J.D.サリンジャーが死んだ。

「1月29日 5時58分 
小説『ライ麦畑でつかまえて』で世界の読者を魅了したアメリカの小説家、Ｊ・Ｄ・サリンジャー氏がニューハンプシャー州の自宅で死去しました。９１歳でした。
サリンジャー氏は１９１９年、ニューヨークでユダヤ系の家庭に生まれ、学生時代から小説の執筆を始め、１９５１年に代表作『ライ麦畑でつかまえて』を発表。学校を退学させられた男子生徒が寮を飛び出して自分の家に戻るまでの日々を「君」に語るという独特のスタイルで口語体を用いて書かれた小説で、アメリカの若者層の熱狂的な支持を得ただけでなく、世界の読者を魅了し続けてきました。サリンジャー氏は、その後、短編集『ナイン・ストーリーズ』や『フラニーとゾーイー』などを発表しましたが、６０年代後半以降は作品を一切発表せず、公の場に姿を現すこともほとんどなかったということです」(以上、NHKニュースからの引用)

 僕が読んだ彼の最初の作品は『ナイン・ストーリーズ』の中の「バナナフィッシュにうってつけの日」だった。平成7年（1995年）の48刷が手元にある。忘れてしまったけど、たぶん京都に来てから河原町の丸善で買ったものだと思う。そして京都で最初に下宿していた時だったと思う。だからきっと僕がこの短編を読んだのは、2001年から2004年のいつかのはずだ。少なく見積もっても6年以上も前だ。つまり僕は20歳前後の時期にこの作品を読んだことになる。

 この作品は雰囲気がよかった。イセントだし不条理だし滑稽だし悲しさが静かにやさしく流れている。水着の女の子。砂山。海の下のバナナフィッシュ。電話。細長いたばこ。寝巻。魅力的な裕福な女。才能ある神経質な男。精神病院に通わせたがるお母さん。言い訳するさっきの魅力的で裕福な女。エレベーター。砂のついた足。言い訳。ガウン。ピストル。自殺。作品の雰囲気がありありと思い出せる。短い作品だから4,5回以上は読んだ気がする。短編らしい短編だった。サリンジャーらしい作品でもあった。
 彼はなんにも言われたくなんかないかもしれない。だけど僕はすこし追悼したい。おもしろい話をありがとう。安らかに眠れるよう願います。
 本書の作品の幾つかは、人知れず思い悩む人々を描いている。合理的ではない人間の、切実だけど人には説明しがたい苦悩が描かれている。

 本書の後書きによると、サリンジャーは、作品を作者から独立して評価してもらうために、自分に関する情報を出来るかぎり隠したという。
 しかし、これだけ繊細で巧みな作品を生み出したのが、どのような人物なのか、思いを巡らす人も多いだろう。
 評者も著者について想像してる事がある。サリンジャーと言えば「ライ麦畑で捕まえて」が有名であるが、評者はこのナインストーリーズの方がサリンジャーらしい作品だと思ってる。両者を比較すると「ライ麦」は不自然なくらいに分かりやすい。逆に本書はとても技巧的で読者を選ぶ作品だ。本書が著者がもてる才能や技術を余さず注ぎ込んだ作品なのに対し、「ライ麦」は、理由は分からぬが、自分の持つ技術に敢えて封をして書いた作品に思える。
 おのれの技術を存分に注いだ作品の方がサリンジャーらしいのではと思う。

 例えば、本書の最初の二つの作品では、話の幹になる部分を外して、周辺から描写しはじめる。そのためそれぞれの文章は糸の切れた数珠のようにまとまりがなく、最後に到るまで、何を描こうとしているのか分からない。特に二つ目の作品は主人公が誰なのかも最後まで分からない。
 そして最後の数行が全体を貫く糸となり、これまでの文章に意味を吹き込む。
 とても技巧的な作品だと思う。

 途中の文章は、一見とりとめが無い内容だが、想像力を喚起させるもので、その影に、暗示された何かを意識せざるをえない。何も意識しない人には最後まで読み進むことは苦痛であろうし、読んでも何も分からないかも知れない。

 情け容赦のない合理性を持つ読者を排除して、感受性豊かな登場人物の繊細な思いを、分かる人にだけ伝える。本書はそんな読者を選ぶ作品だと思う。「ライ麦畑でつかまえて」で日本でも有名なJ.D.サリンジャーの自選短編集。「ライ麦...」は私が高校生の頃、若者のバイブルとして読まれたものだが、本作も同じ香りが漂って来る。ベトナム戦争のドロ沼化による厭戦(世)気分、それに伴い夢・希望を見失った若者の苦悩と喪失感、ベトナム帰りの青年の精神的瓦解。これらの背景を知らないと、各編の意図が分かり難いと思う。冒頭の「バナナフィッシュにうってつけの日」における青年の行動がまさに典型である。

各編を貫くのは、戦争・暴力の否定であり、当時の社会の中で生きる若者や世の中に馴染めない人達への応援歌である。ただし、素直なストーリーは少なく、読者を突き放した書き方をしているので、チョット取っ付きにくいかもしれない。(武闘派の)ヘミングウェイを揶揄した箇所が多いのは、個人的な悪感情か ? その中で「笑う男」は荒唐無稽な創話が現実に影を落とすストーリー・テリングの巧みさが光る。次編「小舟のほとりで」と共に、作者が子供に暖かい眼差しを注いでいる事が窺える。「エズミに捧ぐ」は冒頭の結婚式への招待状から、それに繋がる過去のある一日の甘酸っぱい回想、そして主題に移る構成が作者の意匠を明言しているかのよう。「愛らしき口もと目は緑」は電話での会話だけで構成した皮肉な内容の作品だが、電話相手が元軍人である事を明示している点に注意したい。「ド・ド−ミエ=スミスの青の時代」は「ライ麦...」を想起させる伸びやかな筆致の作品。「テディ」は天才少年を通じて東洋的輪廻思想を語った不思議な作品。

まさにアメリカ文学の良心を凝縮したような珠玉の短編集。著者の作品は、微妙なバランスの上で、かろうじて平衡が保たれている、ガラス細工の様なものだと感じる。
会話部分は、繰り返しが多く、くどい印象もあるが、これが、文章にリズムを吹き込んでいる。

また、精神に問題のある人物が、しばしば登場する。
そのため、解釈困難な内容が、かなり盛り込まれている。

それでも、作品としての平衡を保っている、という、不思議な魅力がある。
しかも、ある意味、刺激的でもある。

この翻訳も巧みであるが、おそらく、原文で読むと、もっと魅力を実感出来るのでは？と思う。
幸い、講談社英語文庫から、安価な原書版も出版されているので、こちらの方にも、興味がわいてきた。

本書は、暇潰しのために読むには、少々不向きだ。
じっくりと、味わうべき作品群だ。
???1953年に出版されたサリンジャーの自選短篇集。「グラース家の物語」の発端となるシーモアが登場する「A Perfect Day for Bananafish」、WASP中心のアメリカ社会で助けあいながら生きていくユダヤ人親子を描いた「Down at the Dinghy」、男女の不倫を描いた「Pretty Mouth and Green my Eyes」など、9つの作品が収められている。中には、ドイツ製のルガー拳銃の性能を証明するために、ヒヨコの頭を撃ち抜いたヘミングウェイの残忍性を風刺して書かれたといわれている、次のような作品もある。 ノルマンディー上陸作戦に向けて3週間続いた特殊訓練を終えたX軍曹は、喫茶店で1人の少女に声をかけられる。先ほど教会の児童合唱隊で、ひときわ美しい声で歌っていた少女だ。さびしそうにしていたから声をかけてみたと言う少女と、彼はつかの間の平穏なときを過ごす…。やがて戦争は終わるが、X軍曹は心身ともに深い傷を負う。ある日、彼は手元にあった小包を開く。中にはあのときの少女からの手紙と、彼女の父親の形見である腕時計が入っていた。2人が共に過ごした時間は、長い人生においてはほんの一瞬のできごとに過ぎない。それでも、少女の手紙には、彼に安堵の眠りと魂の救済をもたらす不思議な力があった。（「For Esme-with Love and Squalor」） ???発表以来、精神分析や東洋思想などの立場から、さまざまな文学的解釈がなされている短篇集であるが、読み物としても十分おもしろい。何年かたってから読み直せば、以前は見えなかったものが見えてくるような、味わい深い作品である。（小川朋子）
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<item rdf:about="http://c-book-011.book-fun.com/detail/06/4770022476.html">
<title>ライ麦畑でつかまえて―The catcher in the rye 【講談社英語文庫】 (Kodansha English library)</title>
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<description>The main character is a spoiled college student who has no desire to improve himself and to be inde...</description>
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The main character is a spoiled college student who has no desire to improve himself and to be independent. His indulgence continues almost to the end of the story, which irritated me but at the same time made me feel that this was a skillful method for conveying the author’s message that was hidden in the last to those who were under the same circumstances because they could naturally see themselves in perspective. This novel was written long fifty-eight years ago by the author who is now ninety years old, but it still doesn't lose its freshness and the sentences are very easy to read. No doubt it keeps popularity even now.日本語訳(野崎訳、村上訳)も読みましたが、ホールデンのやくざな言葉は英語で読めばこそな気がいたします。初心者でも非常に読みやすいですし、大人になっても、大人だからこそ、ホールデンに共感できる部分もあると思います。 遠い昔、日本語訳を二回読みました。
評判に違わぬ、繊細な思春期を描いたいい本ですね。
日本語で読んだ頃の記憶は、“繊細な痛み”でした。
そして今回、英語で通読して思うことは、
痛みよりも、より暖かで、豊かな繊細さでした。
sonuvabitch(son of a bitch)みたいな口語表現が満載で、
英語らしいリズムが、まるで音楽のようです。
タイトル The Catcher in The Rye の本当の意味が解ったのも嬉しいですね。
英語的には易しめ（高校レベル）と言っていいでしょう。
本書は活字の大きさも適当で、とても読みやすいです。
お勧めします。楽しめます。どんな言葉で表現したとしても上手く捉える事が出来ない。そのぐらいこの小説にはすべてが詰まっている。とても「大人への反抗」だなんて一言では括れないのだ。一人の少年が高校を飛び出してからＮＹをさ迷い歩くそれだけの話なのだが、読むうちに様々な感情や思いが頭をもたげ、それがずっと離れない。人によっては、もしかしたら、一生この小説と向き合う事になるかもしれない。主人公のホールデン・コールフィールドは持てる限りのウィットとアイロニーで、彼の生きる世界とそのインチキさを鋭く言い当てる。その言葉は時に痛快で、時に悲しい。だってホールデンには、本当に大事にしたいものや人は失われていくし、世界どころか自分の周囲、いや自分自身でさえどうにもならないことがわかるのだから。死にたいくらい打ちのめされても「飛び降りたら通行人が自分の死体を見ることになるから嫌だ」と理由づけたり、将来何になりたいかと言われても「ライ麦畑で遊んでる子どもを捕まえたい」と言いのけるホールデン。彼はただ単に「ティーンエイジャー特有の強がりや甘え」からこのような事を言ったり、矛盾した行動を取るのだろうか？その答えは、ぜひ小説を読んで、肌で感じ取って欲しい。彼が伸ばした手からすり抜けていった真実と共に。文中には何度も同じ表現が出てきたりするので比較的読みやすいです。わからない表現があっても調べればすぐわかる範囲なので高校生ぐらいでも読めるものだと思います。また、内容もおもしろく、言葉遊びみたいなのもあるので英語の流暢な人も楽しんで読めるっぽいです
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<title>星の王子さま (新潮文庫)</title>
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<description>いつの間にか近づいているのだろうか。 
数字にしか興味のなく、 
数字でしか想像できないおとなに。 
「いちばんたいせつなことは、目に見えない」のに、 
見よう見ようといつの間にか肩に力が入っていま...</description>
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いつの間にか近づいているのだろうか。 
数字にしか興味のなく、 
数字でしか想像できないおとなに。 
「いちばんたいせつなことは、目に見えない」のに、 
見よう見ようといつの間にか肩に力が入っています。刊行後60年以上経った今でも世界中の人々から愛されている作品です。
とても読み易く、本当に大切なものは何かを考えさせられる本なので、ぜひ、一度は読まれてみて下さい。おすすめです！！本屋でふと目にとまった「星の王子様」。昔、ホントに小さい頃、絵本で読んだ記憶があります。空から砂漠に王子が降りてきて・・・、なんかちょっと悲しい話だったような・・・。とイマイチ思い出せなかったこともあり、購入。

砂漠へ不時着した飛行機操縦士の「僕」と、星から星へと旅を続け、地球へたどり着いた「王子様」の出会いから始まるお話で、「あなたにとって本当に大切なものは何？」と問いかけている内容のように感じました。

あとがきを読むと、どうやらこの物語は作者自身の人生を基に描かれたものらしいです。あとがきを読んだ後に「王子様」を子供の頃の作者、「僕」を大人になった作者（実際、作者はパイロットだった）に置き換えててみると、この物語がすんなり理解できるような気がしました。

大人になると、本当に大切なものを忘れてしまい易くなるのだろうか？自分が子供の頃はどうだったろう？と考えながら興味深く読ませていただきました。

読み易い訳が素敵。
28歳にして初めて読んだのだが、最初の感想は、子供が読んで理解できるのであろうかという点。
「目に見えない、けれど大切なこと」は、何となく解っていてもおいそれと口にできるほど確かではない哲学だと思う。
自分の好きな人達の中に未だ読んだことのない人が居たら、薦めて行きたい。
そんな1冊。恥ずかしながら、この作品を今まで読んだことがありませんでした。
タイトルも作者も知っているけれど
どんなお話なのかすら知らなかったのです。
この作品はみずみしい感性を持っているうちに読んでおいた方がいいと思います。
そうすれば、どんなに大人になっても寄り添っていける作品なんだろうなーって。
私は読むのが遅すぎたな。
そのせいか、あまり印象に残らないんです。
そんな自分の感性がとても残念です。
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<title>星の王子さま―オリジナル版</title>
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<description>そこには、たしかにヒツジが描かれていた。 

実際には、真っ白な紙に「しかく」が描いてあるだけだった。 
だけど王子さまは「箱に入ったヒツジ」と言った。 

彼が見ているのは、「目に見えているもの」...</description>
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そこには、たしかにヒツジが描かれていた。 

実際には、真っ白な紙に「しかく」が描いてあるだけだった。 
だけど王子さまは「箱に入ったヒツジ」と言った。 

彼が見ているのは、「目に見えているもの」だけではなかった。 


「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。」 


子どもってすごい。 
子ども心を忘れちゃいけない。 

小説や評論だけでなく、 
「絵本」も読むおとなでありたいと思うようになった。 


いつのまにか大人になり、 
いつのまにか疑問を持たなくなった大人たちのルール。 

この本は、子どもからみた「おとな」の滑稽さを教えてくれる。 
忘れかけていた、「数字」では測れない大切さを思い出した。 


真っ白な紙に、「しかく」が描かれている。 
この本を読んだあと、その絵はただの「四角の絵」ではなくなる。 

その四角の中に、目には見えない「なにか」が見える。 
そして、世界で一枚の自分だけの絵に変わる。 

心で見ることを教えてくれる。 
大人に読んでほしい、大人の絵本。 最近、Don Quijoteを読んでいて『星の王子様』がスペインのDon Quijoteのパロディのような気がしてきた。帽子の中のゾウなどは、風車を巨人と見なすDon Quijoteの狂気の二番煎じかパロディに思えてくる。研究者の論文は読んでいない。だから、私の解釈が正しいのか誤っているのかは知らない。欧米では、聖書の次に読まれている大ロングセラーで、世界最高峰の文学とされるDon Quijoteだから、他の文学作品に影響を与えていても不思議ではないだろう。王子様ときつねとのやりとりが好きです。 
人を思う気持ち。大切なものに気づかせてくれました。 
王子さまのちいさな星にある火山やバオバブの木にはみんなエピソードがあって、
本を読む前はつまらなそうな星だなと思ってましたが、
それは、私が王子様を知らないだけだったと思いました。
人は、見かけや自分の思い込みで物を判断する前に、それはどうしてなのかな？と
考える、想像することが人生を豊かにしていくのだと、この本に教わった気がします。 こんな本を「児童書」扱いして欲しくない。
大人こそ読むべき本だからだ。
そして打ちのめされて欲しい。
大人の、大人による、大人のための本である。
涙して嗚咽して、最後まで読んでくれ。何回も読んでくれ。
あなたはこれを読んでいる間、あなたは王子さまのように、孤独を思い出して欲しい。
無垢で、シャイだったころ、うざいのが学校のテストだけだったころのこと。
こんな本を「児童書」扱いする「大人」こそ許せない。
偽善の手法、偽善の何たるかを知ってしまった我々は、我々こそ、これを読む資格がある。
あなたが死の床に就くまで心に残る…いやあの世でもうなされてしまうだろう。
絶対に文庫版を買うな。ハードカバー版を買ってくれ。そしてこれを永遠に読み続けてくれ。
そしておまえの心を鎖からほどいてやれ。
王子さまはページ上では死んでしまう。でも王子さまは今でも、２００９年でも、２０００９でも生きているのだ。子供のおやすみ前の一冊として、昔読んだこの本を選んだのですが…私が勉強になりました。 物質的には満たされすぎていながら心に病んでいる現代。短い本でありながら、いろんな角度から人生について考えさせられる…そんな本です。 また、夜寝る前に読むんだのも個人的には大正解でした!一日を振り返る非常に良いきっかけを与えてくれる本です! あえていう必要は無いでしょうが、どんな方でも読んでみて損はない本だと思います。???著者の生誕100年を記念し作られた復刻版。挿絵は著者自身が描いた米オリジナル版そのままの絵が載せられている。これまで親しんできた挿絵と比べると輪郭がはっきりしていて鮮明、そのほかにも「ささいな違い」を見つけながら読み進めていく楽しみもある。 ???本書は、ストーリーの展開を楽しむ意味においては子ども向けだが、むしろ大人向けのメッセージに満ちていて、本来人間には「心の目」が備わっているということを呼び起こされる。その、真実を見ることのできる「心の目」をもって、大切にしていかなければならないモノを感じ取り、それを生かしていくことで人は豊かになれるはずなのだが、さまざまなことに心を奪われ見えなくなっていき、やがて見ようともしなくなる（王子が訪れた星に住む大人たちは点灯夫以外その象徴のようでもある）。 ???キツネの言葉「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目には見えないんだよ」は著者からの、大人、そしてこれから大人になる子どもたちへの警鐘なのかもしれない。（加久田秀子）
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<item rdf:about="http://c-book-011.book-fun.com/detail/09/4102020039.html">
<title>ハムレット (新潮文庫)</title>
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<description>亡きデンマークの国王の息子ハムレットは、父を失った悲しみと父の死後に
即居した彼の弟の現デンマーク王とそんな彼の后となった母への憎しみにく
れていたある夜、野で亡霊となった父と再会する。憎しみに満ち...</description>
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亡きデンマークの国王の息子ハムレットは、父を失った悲しみと父の死後に
即居した彼の弟の現デンマーク王とそんな彼の后となった母への憎しみにく
れていたある夜、野で亡霊となった父と再会する。憎しみに満ちた表情をす
る父によって彼の死に胸のざわつきを覚えた彼だが、再びあった亡霊からあ
る重大な事実を知らされることとなる。父の死と叔父の即位の裏には、凶悪
な陰謀が仕組まれていたのだった…。

シェイクスピアの四大悲劇のひとつにして、彼の代名詞ともいえる『ハムレット』
は、エディプス的要素も取り入れられた、凄惨な復讐譚だ。しかしそんなストー
リーの中でも、ひときわ異彩を放っているのは、主人公ハムレットのその真意の
見えぬ多面的なキャラクターだ。時に義父や后をあきれされる道化を演じたかと
思えば、そんな義父によって仕向けられた自分を処刑させる名目の使いならば、
たとえ級友であったとしも逆に陥れ断頭台に送り込むほどの狡猾さと冷徹さをあ
わせもつ。

彼の真意はいったいなんなのか。彼に感情移入してことの顛末にはらはらしてい
る読者や観客にすればやきもきするところだが、それは明かされぬまま、劇は終
幕を迎える。おそらくことの真相は解題で福田常在が言うとおり、「既にハムレット
という一個の人物が存在していて、それが自己の内心を語るのではない。まず最
初にハムレットは無である。彼の自己は、自己の内心は、全く無」なのだろう。彼
の復讐をはたさんがためにする演技こそがハムレットであって、彼の一挙手一投
足の推察すること自体が、彼の思うつぼなのかもしれない。

なおこの新潮文庫の八十八刷現在には、福田による「シェイクスピア演劇の演出」
というアドバイスのような小論と、彼の年譜の採録されていてありがたい。 私は岩波文庫版の『ハムレット』以前読んだことがあったが、福田氏訳の本書を読んでいる間、その事実を完全に忘れていた。それくらい、福田氏の訳は素晴らしく、氏自身が巻末の解説で書いているとおり、翻訳自身が創作となっている。シェークスピアは劇上演のために本作を書いたのだから、翻訳も劇上演という観点から為されるべきだとの氏の見解に私は全くの同意である。劇の台本らしく、言葉が躍動的であり、実に読みやすい。また、この作品自体の素晴らしさについては今更言うまでもないだろう。従って、問題は誰の訳で読むかだが、これはもう福田訳で決まりだろう。氏による解説も必読であろう。マクベス、ハムレット、リア王、オセローの４大悲劇と言われる作品のひとつ。
父王が叔父に毒殺され、母親までも叔父に寝とられてしまっている、その事実を幽霊となった父王から知らされる。
物語の序盤からして悲劇である。

悲劇の主人公としてハムレットは復讐に燃えるかといえば、意外とうじうじとしている。
父王の幽霊は悪魔のこしらえたものかも知れない、と。なかなか行動に移さない。
そうこうしているうちに、叔父には先手を打たれるし、オフィーリアは残念なことになるし、ハムレットの気弱な性格が悲劇に拍車をかけている。

「生きるべきか死ぬべきか、悩むべきか悩まないべきか、行動するべきか行動しないべきか・・・」物語の流れがすべて、ハムレットの苦悩とリンクして進んでいく。
全体を通して沈鬱な雰囲気が漂っているのは、ハムレットが深刻に悩みこむ悲劇的な性格の王子だったことである。
個人的には、ハムレットはうじうじし過ぎに感じた。
劇として、成功するかしないかは、ハムレットの性格がどれだけ説得力をもって観客に伝わり同情を得ることができるかというところに尽きるような気がする。シェイクスピアは「マクベス」を先に読んでいたのですが、他の作品も読みたくなりました!約がどうとか、演出がどうとか、そういうことはわかりませんが、「復讐」の是非を考えさせられました。本書では、死んだ人が復讐を「望んでいる」という前提で事が進みますが、実際は死んだ人の気持ちははわからない。それに前王も、この結末は望んでいなかったはず。はたして自分なら…。最後に原文を読みたくなった理由ですが、本書の「シェイクスピア劇の演出」に、約文は原文の「美の90%は死んでおります」とあったからです。次に読むときは原文にチャレンジします 高校時代の一夏に演劇をやった事がある。文化祭の一環に演劇コンクールというものがあり それの練習で夏休みを費やしたわけだ。僕の行っていた高校はかような行事が大変盛んで 授業より行事で存在感のある人が尊敬されていた。
 そんな夏に 演劇コンクールのために 新潮文庫でまとめてシェイクスピアを読んだ。何か役に立つと １５歳の僕が考えたのだろう。

 今考えると １５歳にシェイクスピアはちょっと荷が重かったと思う。口ではシェイクスピアが描き出した「人間の苦悩」というような話をしていたが 所詮たいした苦悩などしてきていない高校生の生意気だけであった。それはそれで青春時代のエピソードとして 今でも僕のどこかに残っている。

 シェイクスピアというと まずは本作ということになると思う。ハムレットは読んだことがなくてもハムレットという名前は皆が知っている。「ハムレットの心境」とは今でも良く使われるではないか。
「To be , or Not to be. That is the question」という言葉は 映画「荒野の決闘」でドクホリディが朗読した場面での有名だ。

 そうして それがシェイクスピアの凄みである。シェイクスピアの一つのセリフが出てきた瞬間に その映画、その舞台、その場面が がらりと雰囲気が変る様は良く見られる。俗な言い方をすると一瞬にして香気がただようとでも表現すれば良いかと思う。その雰囲気は 一振りの香水にも似ている。

 「To be , or Not to be. That is the question」。そう それは誰にとっても 何時になっても問題なのだ。
 
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<item rdf:about="http://c-book-011.book-fun.com/detail/10/410210108X.html">
<title>ハツカズミと人間 (新潮文庫)</title>
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<description>レニーの2回の暴力（？）シーンが鮮やか。キャラがそれぞれ立っている。
表題のmenは「人間」よりも「男たち」というほうがいいような気がする。切ない感じが心に残る。
（１）人間が生きていく上で、夢を持...</description>
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レニーの2回の暴力（？）シーンが鮮やか。キャラがそれぞれ立っている。
表題のmenは「人間」よりも「男たち」というほうがいいような気がする。切ない感じが心に残る。
（１）人間が生きていく上で、夢を持つことが必要なこと、話し相手となる友人が必要なこと、
（２）アメリカの人種問題、
（３）人間の見栄っ張りの浅はかさ、
（４）魅力的だが落ち着きのない妻をもつことの問題、
などなど色々な人間の側面を短編の中に凝縮して描き出していて、良い作品と思う。
ただ、今の僕としては、著者の思索がはっきり提示される話が好きであり、その点トルストイと比べ物足りない感じがする。
知恵遅れのレニーは「イワンの馬鹿」のイワンを思わせるが、イワンは馬鹿で正直ゆえに幸福に向かうが、レ二ーは馬鹿であることが人との関わりの中で人を傷つける方向に向かってしまい自らの破滅を招く。 １９３０年代のアメリカの渡り農業労働者は単独で農場から農場へ渡り歩いた。ジョージとレニーは例外の１組である。前半、ふたりが信頼関係を結ぶに至る話が挿まれる。終盤に事件が発生し、その時、ジョージはどのような行為を選択するのか。ジョージの内面の葛藤の記述は省かれ、その行為は躊躇なきがごとくである。
 ジョージの行為の動機を知る者はスリム（ラバ使い）のみである。その動機は・・・・・。スタインベックの作品は初めて読んだのですが、他の作品も読みたくなりました。

まず「安楽死」について考えさせられました。私も、人に迷惑をかけるくらいなら死にたい、と考えることはありますが、それを最愛の人にあてはめたとき、そしてその人がそれを望んでいないかもしれないとき…。

「妊娠中絶」もしかり。自分の判断で一人の命を絶つ。その行為、考えが本当に正しいか?「赤ちゃんポスト」はレニーのいう「ほら穴」になるでしょうか…。何が正しいか今の私にはわかりませんが、生と死について考えさせられる一冊です。 確かに名作だが、こんなに悲しい結末の話に星5つは付ける気になれません。
 短編で読みやすく(慣れないと読みにくいかもしれませんが)展開はスムースで全く違和感もなく、感動的な小説です。
 途中まで黒人の話だと思って、黒人の歴史を調べて、1865年に終わった南北戦争どころか、1970年ころまで、ひどい差別があって、1990年にはロス暴動があって、と思いながら読んでいたら、メインの二人は白人であることがわかりました。で、"The Painted House""To Kill a Mockingbird"などに出てくる貧しい白人の話などを思い出しながら読みました。
 いくら名作でも107ページでこの値段は高すぎるのではないでしょうか。他の作品とまとめて一冊にするとか。Jhon Steinbeckの愛読者は賛成しないでしょうが。
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<item rdf:about="http://c-book-011.book-fun.com/detail/11/4102057021.html">
<title>フラニーとゾーイー (新潮文庫)</title>
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<description>何度も読み返した小説です。
フラニーの気持ちには共感できないし、ゾーイーの最後の言葉も
意味がわかりませんが
最初から最後に至るまでの言葉のやり取りが面白かったです。爆笑問題の太田さんが強烈にお勧め...</description>
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何度も読み返した小説です。
フラニーの気持ちには共感できないし、ゾーイーの最後の言葉も
意味がわかりませんが
最初から最後に至るまでの言葉のやり取りが面白かったです。爆笑問題の太田さんが強烈にお勧めしていたので読んでみたけど、
実際の内容と彼の解釈とは違うような。（苦笑
一言でいえばこの本は、キリスト教の説法本ですね。ｗ

僕が思うに、世の中の不条理だとかエゴだとか、生きるに
苦しいと思う多くの事は、結局は神を持ち出さないと
逃れることが出来ないのかと、無宗教な自分には、ちょっと
ブルーな気持ちになりましたよ。ええ（苦笑

あーあ、この世知辛い世の中に、こんな本を読んでると、
また西洋コンプレックスに拍車がかかりそう。
彼らがこういう意識を人生のモチベーションとしてるなら、
所詮は西洋文化の上っ面にしか過ぎない個人主義＝利己主義に
汚染された日本の将来は？・・・

 「サトリ」という妖怪がいる。人の心の内を読んで、逐一口に出してくれるお節介な妖怪。
グラース家の子供たちは、人類にとってのサトリなのだ。

 嘘や見栄や自慢や自己弁護を、見破られたいと思う人は少ない。
しかしそれを見破る方にしたら、見たくもないものを見せられて、その真実を顕わにしているだけなのだ。
―何故尊敬されたがるのか―何故在るが儘の自分に満足しないのか―何故満足するまで努力をせず嘘で飾るのか―
これが、フラニーの嫌悪の根底だと思う。そしてそれを嫌悪する狭量な自分を恥じている。

 若い頃、正に泣きながら読んだ記憶がある。あの時、私はフラニーだった。

 嘘、見栄、自慢、自己弁護…どれも他者が在るからこそ人間が必要とするもの。
他者によらず、宗教によらずに生きる事は可能だろうか？
自分なりの価値観や良識を持ち、その上で他者を否定せずに生きる道は。

 この世には美しいものも醜いものもあって、それで世界が構成されている。
しかし、美しいとか醜いとか感じるのも単に個人の感受性の判断であって、
ああ、この厄介な「感受性」とかいうものを、己から剥ぎ取って捨ててしまえたら！
こんなにも激しい感情の起伏に悩まされずに、平安を享受できるかしれないのに。
若かった私はそう思っていた。今考えると微笑ましいものだ。あの頃は切実だったが。

 フラニーとゾーイーの違いは、年齢によるものだけではないのではないか。
女性であるが故に、フラニーはゾーイーより重い十字架を背負っているように思う。
男性より賢くてはいけない、男性より愛情深くなくてはならない。
ボーイフレンドとの会話でも、そんな重圧を感じる。私が女だからかも知れないが。

 神とは何か―崇拝とは何か。同化することである。それは自分を客観的に見る事と似ている。
神を崇め奉っても、それに近付く努力がなくては、それは単なる自己満足の儀式である。
神は自分であり、世界は自分である。一は全、全は一。
この体の中のこの脳で考えているから、自分が特別なような気がするのであって、
実は世界に特別なものなどない。というか、全てのものが等しく特別なのだ。
この世は神で満ちていると言ってもいい。

 ゾーイーはフラニーに世界の愛し方を教える。自分の赦し方を教える。
嘘や見栄や自慢や自己弁護を、「可愛い」と思えるものの見方。
人間の醜さや弱さを愛すべきものとする、ほんの少しのきっかけを、天啓のように。

 ふたりが幼い時に、シーモアとバディが「知識」より先に「知恵」を与えたのは、愛情からだ。
若しくは自分がそう在りたかった理想から。まあ僅かな実験的意欲も感じるが。

 親への反抗期がなければ親離れはできないという。本当の親離れとは対等の目線から親を愛するという事なのだ。
これはフラニーの世界への反抗期の物語であり、一度は離れた世界を再び愛するまでの物語である。不思議な読後感。なんか爽快。
長い思春期から目覚めたような気持ちです。

思春期真っ只中のあなたはもちろん、大人になったあなたが、思春期の時(にかぎらず多感な時期)に向き合いながらもどうしようもなく、ずっと胸に留めてきてしまった気持ちを、解放してくれる、そんな物語。

個人的な感想ですが、この本を読んだ後、当分本は読まなくていいなと思いました。
そして、外に出て、動きたい！見たい！感じたい！ そんなエネルギーをくれた本。

感受性が強く、自分の繊細な気持ちに、疲れてしまった、フラニーのようになった時に、これからも何度も読み返すでしょう。きっと『太っちょのオバサマ』がまた助けてくれるから。

大昔に4回読んで、それでやっぱり意味が分からなかった『狭き門』のアリサのことを思い出した。
っていうか、宗教について考えはじめる女の子は具合が悪くなるくらい、いったい何に悩んでいるのか。
それが理解できないというか共感できないというか。
どうでもいいけど、その「チキン・サンドイッチ」早く食えよ。って云いたくなる。
そんな小説。

ほとんどの部分を会話が占め、ページ数も少ないけれど、思ったほど簡単な本ではない。
フォントが小さく改行も少なくて読みにくいし、内容がまたクセのある饒舌な科白で構成されている。
すごく読んでるのにちっとも時間が進んでないような錯覚を覚える。
グラース夫人はいつまでたっても息子のバスルームを出ていかないし、ゾーイーはいつまでたっても妹のいる居間を出ていかない。

神をどう理解したものか、ということをそこそこ真剣に考えてきた人であれば
それなりに感動、というか共感するところのある小説であると思う。?『Franny and Zooey』（邦題『フラニーとゾーイー』）は、それぞれ別に発表された「Franny」（1955年）と「Zooey」（1957年）を1つにまとめた作品である。名門女子大で演劇や詩を学ぶグラース家の末娘フラニーは、過剰な自意識にさいなまれ、エゴの蔓延する世の中に吐き気をもよおし、デートの最中に失神する。心身のバランスをくずした彼女は、「ひたすら祈れば悟りが開ける」と説く「巡礼の道」という本に救いを見出そうと、自宅のソファーの上で子どものように丸くなって祈りの生活に入る。当然、家族にしてみれば、睡眠も食事もろくにとらない彼女が心配でたまらない。兄ゾーイーの懸命の説得もむなしく、フラニーの心はかたく閉ざされたまま。あげくの果てには、亡くなった長兄シーモアと話がしたいと言いだす始末。 ???そんな妹のために、兄の啓示を受けるべく、ゾーイーは久しぶりに兄の部屋に足を運ぶ。戻ってきた彼は理路整然とフラニーの過ちを指摘していく。「目の前で行われている宗教的な行為（母親はなんとかチキンスープを食べさせようとしている）に気づきもしない人間が、信仰の旅に出て何の意味があるのか」など、ゾーイーの口を借りて伝えられるシーモアの言葉にフラニーは…。 ???服装や言動の緻密な描写が暗示する登場人物たちの内面、すれ違っていく男女の心、フラニーが神経衰弱に陥っていくまでの心の動き、妹を救うためのゾーイーの奮闘、そして、死してなお絶大な影響力を持つシーモアの思想など、読みどころの多い作品。（小川朋子）
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<item rdf:about="http://c-book-011.book-fun.com/detail/12/4915841510.html">
<title>終わりと始まり</title>
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<title>マクベス (新潮文庫)</title>
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<description>この本の素晴らしさは他のレビュアーの方が書かれていますので
個人的に疑問に思っている事を書きます。
この本のあとがきではマクベスはシェイクスピアがジェームス1世（元々スコットランド国王
ジェームズ6...</description>
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<![CDATA[
この本の素晴らしさは他のレビュアーの方が書かれていますので
個人的に疑問に思っている事を書きます。
この本のあとがきではマクベスはシェイクスピアがジェームス1世（元々スコットランド国王
ジェームズ6世、エリザベス1世死後イングランド国王も兼ねる）のおべっかの為に
作られたと推測されているのですが果たしてそうなのでしょうか？
確かにスチュアート王朝の始祖バンクオーも出てくるのですが
あっけなく死んでしまいます。
普通なら将軍バンクオー（実は伝説の人物）の話の方が題材として妥当だと思うのですが。

実は「マクベス」はスチュアート家礼賛と見せかけてシェイクスピアが
ジェームズ1世を出し抜いた作品じゃなかったかと最近思えてきました。

マクベスの奥さん…マクベス夫人は夫をけしかけ王を殺させて王位を簒奪させる。
このマクベス人に良く似ているのがジェームズ王の母親メアリ・スチュアートなのです。
生まれながらの女王メアリは側近を殺された恨みから夫を情夫のボズウェルに殺させ
彼を王位につけさせた。―そしてスコットランド内乱で敗北しイングランドに亡命、
エリザベスによって幽閉させられた後はエリザベス暗殺計画に加担した罪で処刑されています。
一連のメアリ事件の事実は違ったのではないかと近年の歴史家は言っていますが
あの当時のヨーロッパでは紛れも無い出来事なのです。
エリザベス女王はイングランド女王として国民の絶大な人気を博していました。
その後継者ジェームズはスキャンダラスなスコットランド女王で
エリザベス暗殺を企んだメアリの息子なのです。
イングランド国民として面白いわけがありません。
国王礼賛に見せかけてシェイクスピアは後ろで舌を出すようなドラマ「マクベス」を作り
溜飲を下げたのでしょうか？
少なくともマクベスを観たジェームズ王はマクベス夫人を見て
自分の母親の姿を思い浮かべ忸怩したのではないかと思います…それほど似ている。
そう思って読むと第四幕第三場の
“地獄のようなスコットランドと天国のようなイングランド”も
シェイクスピアの痛烈な嫌味に思えてきます。

と、まあ色々推測を書きましたが
マクベス自体は予備知識なくても十分楽しめます。
でもスコットランド史とイングランド史を調べて読むとより面白く赴き深く楽しめます。
（実際のマクベスは良い王様だったそうですが）
裏切りと謀略が日常茶飯事の世界・・・。読むと気分がめいる。
言葉のいいまわしはかっこいいです。シェイクスピアの作品をちゃんと通して読んだのは始めてだ。
三魔女のそそのかしに逆らえないマクベスの弱さが生む簒奪劇。
王権を手にしつつ自分が殺したダンカン王や同僚の武将バンクォーの死霊に悩まされる。

三魔女の存在が暗示するものは、マクベスの野心という名の内なる力と、自分の力ではどうすることもできない運命という外的な力の二つがあるような気がする。
内からも外からも誘惑に負けやすい人間というものをよくあらわしている物語だ。

読み物としては、難解でもなく、テンポもいい。セリフ回しも歯切れがよくて舞台にかけるにはピッタリだ。
むしろ解説の方が難解に感じた。
まぁ、言ってることはなんとなくわかるけど。
とにかく「ハムレット」が対比に使われている。
そうか、そのうちハムレットも読んでみることにしよ。マクベス。魔女の予言。誰もかれもがマクベスにその手を汚せとささやく。

「きれいはきたない。きたないはきれい」という魔女のなぞの言葉・・・・。

それは完全無欠な人生を歩むには、邪魔者を殺しその手を汚すしかなく、
その手を汚したくなければ完全無欠な人生など歩めはしない(王にはなれない)という強迫なのだ。

それがマクベスの鍵となる文句。その強迫に操られてマクベスは死ぬ。

シェイクスピアの作品は、実際の演劇を見てから読むに限る。舞台での台詞のテンポと臨場感を一度経験しておくと、文学として読む作品に生命が宿る感覚を覚える。
どの作品もそうだが、マクベスも、シェイクスピアの人間の本質と弱さをシニカルに描いた作品と言うべきだろう。無闇に人生訓のようなものを導き出すのは良くないが、やはりどうしても、シニカルな視線の中に、学び取らねばならないものを感じてしまう。この作品では、魔女の囁きにそそのかれ、独善的となり、高揚した主人公が、冷静さを失ったゆえに、結局は身の破滅を導く、というストーリー。治世というレベルでなくとも、あらゆる人生の場面で、こんなことはあるものだ。
それにしても、やはりシェイクスピアの詩のような言い回し、巧みな比喩には、美しさを覚える。このような美しさ、それも”冷徹な美しさ”こそ、天才のなさる業だろう。
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<item rdf:about="http://c-book-011.book-fun.com/detail/14/410212201X.html">
<title>夜間飛行 (新潮文庫)</title>
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<dc:date>2010-03-08T22:07:56+09:00</dc:date>
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<description>危険を冒してまで自らの職責を果たそうとする気高き者たちが美しく描かれています。

操縦士たちは闇に向かって飛び立ち、ときに雷雨突風を伴った嵐のなかで孤軍奮闘し、
ときに満々と輝く星辰を縫って飛行しま...</description>
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<![CDATA[
危険を冒してまで自らの職責を果たそうとする気高き者たちが美しく描かれています。

操縦士たちは闇に向かって飛び立ち、ときに雷雨突風を伴った嵐のなかで孤軍奮闘し、
ときに満々と輝く星辰を縫って飛行します。

彼らが孤高で美しいのは、いつ訪れるかもしれない死の硬度によって生が彫琢され
玉としての価値を維持しているからだと思います。

そして、夜間飛行による郵便事業の存亡を、その肩に担う
支配人リヴィエールは確固たる信念によって
人員に規律を守らせ厳しい態度で接することを終始貫いていますが、
心の奥底は

「愛されようとするには、同情さえしたらいいのだ。
ところが僕は決して同情はしない。
いや、しないわけではないが、外面に現さない。」

という言葉からうかがい知ることができます。

他人以上に自分を律し、不測の事態にいつでも対応しておけるように
しているリヴィエールの冷たい美意識が伝わってきます。
「星の王子さま」の作者が書いた作品だけど、その雰囲気は「星の王子さま」とは似ても似つかない。
「星の王子さま」がふんわりとした優しい作品だとしたら、「夜間飛行」には優しさは欠片も出てこない。
あるのは冷たく厳しい現実と、それにさえ揺るがない、毅然とした使命感。
そしてそれ故に、この作品には静かで透き通った、
まさしく彼らの飛行機が行く夜の空のような、何物にも代え難い美しさがある。

舞台はまだ郵便飛行の草創期、夜間の飛行などは命がけであった時代の、
南アメリカ植民地にあるフランスの輸送会社だ。
主人公である支配のリヴィエールは、その危険を理解しながらも夜間飛行の事業を断行する。
「危険だとわかっていながらも、大きな理想のために命をかける」。
歴史上、そういう英雄は数多く存在したし、創作においてもそういう作品は数多いだろう。
不屈の精神で困難な状況を乗り越えていく、いわゆる「冒険」ものだ。
だが、この作品はそういうものとは大きく違う点がある。
主人公のリヴィエールは、飛行機のパイロットではないのだ。
彼が掛けるのは自分の命ではなく、他の、彼よりも年若い操縦士たちの命だ。
自分の命ではなく他人の命をその肩に負うリヴィエールには、
ある意味においては自分の命をかける以上の苦しみと恐怖、責任がのしかかる。
だがそれでも、彼は「人間の生命以上に価値のあるもの」
「個人的な幸福より永続性のある救わるべきもの」を信じている。
彼の、恐ろしいほどに厳格で真っ直ぐな一本の意志が、
この作品全体をぴんと張り詰めた雰囲気で貫いているのだ。

同時収録の、サン＝テグジュペリの処女作「南方郵便機」は
一転して甘い雰囲気の、フランスらしい情緒的な作品。
フランスの恋愛映画なんかが好きな人にはいいかもしれない。
僕は「夜間飛行」の方が好みだけど。ゲラン社のジャック・ゲランが友人サン・テグジュペリの「夜間飛行」へのオマージュとして作り上げたとされる名香「夜間飛行」。 
この香水の存在のせいなのか、それとも「飛行機乗り」というシチュエーションがそう読まれやすいのか、「夜間飛行」という作品を語る人は「ロマンティシズム」を超えて「センチメンタリズム」という言葉を乱発するように思う。疑うなら、ためしにgoogleででも「夜間飛行・テグジュペリ」とでも入れて検索してみると分かる。 
でも、私はこの話を読むときにいつもいつも、激しく胸が痛む。この作品に限らず、テグジュペリの作品を読む行為は私にとって、いつでも強い痛みを伴う。その痛みというのは、いわゆる陶酔や単純な男の浪漫だとかで説明できるような曖昧模糊としたものではなく、ナイフをきっかり突き立てたような、明確な痛みなのだ。鼻の奥がツンと痛む、あの不快を伴う痛みなのだ。 
「夜間飛行」でのそれは、ファビアンが恍惚として雲海の彼方へと吸い込まれてゆく場面で頂点に達する。この場面を読むたびに私には、なだらかな雲海を縫ってまばたく稲妻のほそい光、その上にはてしなく広がる暗いはずの空が、なぜか黄金色に輝いているのが見える。ファビアンの飛行機は追い風に乗って、どこまでも空へと舞い上がる。そうだ。飛行機は海へと落下したのではなく、空へと落ちていったのだと思えてならない。 
その鮮やかな場面で、くりかえし、私は痛みを覚える。ファビアンの妻が会社の廊下で俯いているからではない。リヴィエールがそれでも次の飛行機を空へ放つからではない。純に、空へと吸い込まれる瞬間のファビアンに対して、空へ還る瞬間の命に対して、たったいま彼が死したのだと思うくらいに強い哀しみと悼みを覚えるから。私がファビアンであること。ファビアンが私であることを、あの雲海の場面は私に知らしめる。 
「夜間飛行」の物語はサン・テグジュペリがリヴィエールに託したセンチメンタリズムなのか。殉職？したファビアンは究極のロマンティストなのか。とんでもない。私にとって、これは感傷などではくくることができない、あまりにも現実的過ぎる感覚を味わう数少ない物語だ。 
世の倣いに背いて何かを全うしようとする人間は、必ずその現実の生々しさを味わう。味わいながら、苦味をかみ締めながら、あるときは家族を、恋人と、あるいは自らの命をも犠牲にしながら、歩をすすめるしかないときがある。その生き様に「ロマン」の香りを加味するのは、いつでも後世の人間でしかない。私はテグジュペリの物語をただの夢で終わらせるのは間違っていると強く感じる。この物語は物語だからこそ、フィクションだからこそ、ロマンティシズムの干渉を受けないですむのではないか。冷静に評価されるのではないか。生身の人間の人生は語られることによって脚色される。すでに語られているフィクションは、それ以上の干渉は不要となるはずではないか。 
実際にはそこには読んだ人間の感想や読み方というものがあり、語られたままの物語などこの世には存在しないことが分かって、再度、肩を落とす。 
リヴィエールは事故を恐れなかったのか。 
ファビアンは飛行機とともに死すことにおびえなかったのか。 
夫を待つ妻はその死に対して納得することができたのか。 
サン・テグジュペリの筆は厳しく、冷徹なまでに淡々と彼らの行動を描き出す。だから痛い。だから私には、簡単に手にとることができない。 
生きた人間の一生を一から見直すことは後世の人間には不可能だけれど、語られた物語を繰り返し読むことはできる。そうして、読むことによって人は語られた物語を追体験する。語られた時点で事実はフィクションとなる。けれど、フィクションだからといって必ずしも感傷的とはならないのだ。 
シビアな現実の中でこそ生きるロマンの必要性を描き出す「夜間飛行」は、サン・テグジュペリという究極のリアリストが残した、「魂のノンフィクション」なのだと思う。戦争という時代背景の中で社会的使命も担った「戦う操縦士」も魅力があるし、世界中で最も広く愛されているのは「星の王子様」になるけれど、未完の「城砦」をとりあえず除くと、サン=テグジュペリの著作の最高傑作は「人間の土地」だと思う。

しかし、小説としての完成度ということでいえば、私にはこの「夜間飛行」が一番いい出来の作品のように思える。危険な時代の夜間飛行をめぐって、絞られた特徴的な人物と印象的な場面設定で、緊迫した物語が無駄なくスピーディに展開し、息をのむ。見事な出来だと思う。この小説は、最初の原稿はかなり量があったようだが、このようにより短い形にギュッと濃縮して世に送り出したのは正解だった。

もう一方の「南方郵便機」の方は、ちょっと冗長な文章と効果的な場面転換が印象的。個人的には訳者が述べているほどの名作だとは思えないが、処女作が得てしてそのようなものであるように、この作品もサン=テグジュペリの個性を強く反映した作品になっている。ただ、こちらの作品は、ストリーは自体は良くできているのに、少し衣（ころも）をつけ過ぎた。レトリックを効かせすぎてちょっと退屈だし、おまけに訳にも日本語としておかしいところが散見される。

ちなみに、表紙の絵は宮崎駿監督が描いています。『夜間飛行』と、 
『南方郵便機』の二作。 

『星の王子さま』と並ぶ、 
サン=テグジュペリの代表作である『夜間飛行』は、 
彼を作家としての確固たる地位に押し上げた。 
まだ、飛行機で飛ぶことが、 
今ほど安全ではない時代に、 
自らもパイロットして労働していた作者が、 
そのストイックなまでの、 
郵便航空機の世界を、 
詩的な文体で綴った物語。 
「幸福は義務の中に」、 
そう言える労働が、 
ほとんど失われた時代に、 
あこがれてしまうような、 
郵便飛行に携わる人々の姿勢。 
クールであり、 
情熱的な向き合い方に、 
強く惹かれていく。 

『南方郵便機』は、 
サン=テグジュペリのいわゆるデビュー作。 
訳者は、 
『夜間飛行』以上に優れた作品と評している。 
いつ還らぬ人となるかわからない、 
危険な仕事に従事する郵便飛行士たち。 
未知の航路を開拓しつつ、 
彼らは郵便を届け続ける。 
その危険な労働は、 
命を落とすことも少なくなかった。 
作者の自伝的要素の強い作品で、 
恋人（不倫・・・？）であるジュヌビエーブとのくだりは、 
なんとも言えず、 
切なさと、甘いあこがれとを伴っている。 
訳者同様、 
読みにくさはあれど、 
僕もこっちのが好きかもなぁ。 
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<item rdf:about="http://c-book-011.book-fun.com/detail/15/4001140012.html">
<title>星の王子さま (岩波少年文庫 (001))</title>
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<description>この本を読んで自分でも気づかないうちにに大人になっていってることに気づき、涙が出ました。この中に出てくる花に対する言葉がBUMP OF CHICKENの『花の名』という唄の一節を思い浮かべさました。...</description>
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この本を読んで自分でも気づかないうちにに大人になっていってることに気づき、涙が出ました。この中に出てくる花に対する言葉がBUMP OF CHICKENの『花の名』という唄の一節を思い浮かべさました。「あなたが花なら 沢山のそれらと変わりないのかも知れない そこからひとつを選んだあなただけに歌える唄がある 僕だけに 聴こえる唄がある」この唄と同じ様に、僕にとって星の王子様はたくさんの大切なことを思い出させてくれる大切な本になりました。 高校生の頃に（実存主義研究がテーマにあって）読みたかった本ですがずっと読みそびれていて、最近になってようやく読む機会がありました。
 少年文庫ですが、本当に小さな子供さんには少々難解な内容です。幼いお子さんならこんな王子様が地球にやってきてやがて旅立ったんだよという物語としてしか読むことができないでしょう。単純に童話としての理解ならばそれでも良いと思います。それなりに夢のある話に仕立て上げられているでしょうし、分からない部分は親が話して聞かせればよいということになります。でもこの物語は小さな星の住人が旅して、人間社会のむごさ、くだらなさあるいは逆に喜び、身近な存在の中から価値を見出すことなどといったものを学び取っていくストーリーといえます。人間どう生きるべきかという根元的なテーマが強烈な風刺の中に宿っているわけです。効果的な原作者の挿絵と共に強い印象が残ります。自己中心的な考え方しか持てない大人たちに是非読んでもらいたい１冊です。星の王子さまは、真実だけを知りたい。質問することをためらわないし、嘘はすぐに見抜いてしまう。大人になれば清濁あわせて飲み込んで、純粋でいられないこともあるし、子どものようには振舞えないが、それゆえに様様な問題を作ってしまう。「本当のこと」意外はどうでもいいことだと、王子に教えられるような気がします。

王子は愛していた花と別れ、その後地球にやってきますが、ここではたくさんの花が咲いているのを見て泣きます。自分の持っていたものが、ありふた花で、それも一つだけだったと。ところが、この後で出会ったキツネが色々と大切なことを教えてくれて、王子も読者も「本当のこと」に気付いていきます。

･かんじんなことは目に見えない
･自分の一つのバラを大切に思うのは、そのために時間をかけたから
･めんどうをみたら、いつまでも責任がある
･幸福を感じるためには、4時とか、木曜日とか、きまりが必要

このキツネはいいこと言う。大人になって初めて読んだが、得るものがありました。読み継がれていく名著と言われるだけのことはあります。小学生時代以来３０年ぶりに、手に取った。
こちらを眺めて初めてしったのだが、最近ではいろんな方の新訳が出ているようでもある。そういう息の長い書なのだろう。

しかし、こんなにも難解な書を小学生の私が読んでいたのだろうか？
いま読んでも、結構に重いテーマのストーリーだ。

どなたかがおっしゃっていたが、大人が読むべき本だと思われる。 この童話が このように長い間に 多くの人に読まれ そしてなにより愛されてきたという歴史に まずは敬意を表したい。 

 多くの方のご意見通り この童話は本来 子供には難しい話だ。しかし それでも子供時代に読んで面白かったという感想をもたれている方も多いのだと思う。実際 この話は 大人向けの内容の童話を子供に上手に読ませるものがあるという点で 非常に優れた本になっているのだと思う。 

 考えてもみてほしい。本書が子供が読めないような難解な話であったら 誰も読む機会が無かったに違いない。 
 本書を手に取る機会は人生に二回ある。子供の頃に読んで魅了された場合と、自分の子供に買い与えた本を親の自分も読んでみて 惹きつけられた場合だ。 

 僕が子供の時に どう本書を読んだのかはもう覚えていない。覚えていることは本書が非常に面白かったという点だけである。それで良いのだ。その記憶のお陰で 大人になってからも幾度か読み返す機会を得られたのだから。 

 「大人になるにつれて何かを失う事」というのが 本書のテーマである。僕らは年を取ることで何かを得ていくが 何かもきちんと失っていく。その「失ったもの」を思い出させるのが この美しい童話である。 
 「失ったもの」は 最早還っては来ない。そういう喪失感が本書の通奏低音である。この童話は短調で書かれているのは そんな通奏低音の響きの為だ。但し 時として「喪失感」が僕らに甘美な思いを齎すことも確かだ。それが この比類の無い「大人の為だけではなく子供の為にも書かれた」童話の永遠の命の源泉なのだと思う。
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<item rdf:about="http://c-book-011.book-fun.com/detail/16/400336323X.html">
<title>知性について 他四篇 (岩波文庫)</title>
<link>http://c-book-011.book-fun.com/detail/16/400336323X.html</link>
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<description> ショーペンハウアー哲学の最大の魅力は、何といってもそのわかりやすさであろう。それが仇となってアカデミズムの世界では軽視されがちだが、わかりやすさと深さとは決して矛盾しない。概念ではなく直観を重視し...</description>
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 ショーペンハウアー哲学の最大の魅力は、何といってもそのわかりやすさであろう。それが仇となってアカデミズムの世界では軽視されがちだが、わかりやすさと深さとは決して矛盾しない。概念ではなく直観を重視したその哲学にふさわしく、彼の叙述は具体的でありカントやヘーゲルなどの難解さとは一線を画している。
 本書はそんなショーペンハウアーの魅力を最大限に伝えるアフォリズム集『パルエルガ・ウント・パラリポメナ』の中から、主に認識論に関する雑文を抜粋した哲学エッセイ集である。岩波文庫からは同趣向の本が計三冊出ているが、それらの中では本書が最も哲学的であるとは言える。
 ショーペンハウアーは比喩が上手く、ときに詩的ともいえる表現を使うことさえある。例えば時間と空間が客観的実在ではなく主観的形式に過ぎないというカントの観念論を表現するのに「世界の事物は時間という縦糸と空間という横糸が織り成す織物の上に盛られる」というような言い回しを使ったりする。あるいは同じく空間の主観性を証明するのに「われわれは空間を空っぽにすることはできるが空間そのものを取り払って考えることはできない」という巧みな論理を持ち出したりする。フランス的ともいえるこの明快さは、ショーペンハウアーが幼い頃商人になるために単身渡仏させられ、帰ってきたときにはドイツ語を忘れていたくらいフランス人化していたことと関係があるのかも知れない。
 著作家の傑作は晩年が多い、とショーペンハウアー自身が言っているが、若くして書き上げた大著『意志と表象としての世界』よりも、晩年にコツコツと書き継がれた『パルエルガ・ウント・パラリポメナ』の方がはるかに読みやすいことは確かである。ショーペンハウアー哲学のエッセンスが凝縮された本書は、岩波文庫からの他の二冊および新潮文庫の『幸福について』と並んで、恰好のショーペンハウアー入門書と言えよう。 主著である『意志と表象としての世界』を読んだ後でも、この本によって改めて筆者の偉大さが分かった。その鋭く整然とした理論は、読者がそれに共感することができれば、ショーペンハウアーの高い知性に一歩近づけてくれるのではないか。以下に引用を載せるので、興味を持った方はぜひ読んでほしい。

《カントが発見した「時間の観念性」ということは、実を言うと、力学で説かれる「慣性の法則」の中に、すでに含まれている考えである。というのは、この法則が根本において意味していることは、「単なる時間はいかなる物理的効果をも生じえない、従って時間だけでは、物体の静止と運動にすこしも変化を加ええない」ということであるが、このことからしてすでに、「時間は物理的実在ではなく、先験的な観念的存在であり、従って事物からではなく、認識主から発現するものである」という結論がでてくるからである。》

《それゆえに、第一級の精神の持ち主たちは、決して特定の専門科学に身を捧げないであろう。全体への洞察を、あまりにも深く心にかけているからである。彼らは、将軍であって隊長ではなく、オーケストラの指揮者であって演奏者ではない。》 哲学というものを手にしたのはこの本が初めてです。 なんとも毒舌でユーモアたっぷりの面白さじゃありませんか。 哲学書というとどうも縁の遠い小難しいものだと思っていましたが、本というものは読んでみないと分からないものですね。展開されるハウエルの痛烈な皮肉や批判、賢者と愚者の見分け方、愚者の手口の数々。考え方によってはただの悪口本のようです。 不届きにも電車の中で笑いをこらえつつ読んでしまいました。 納得できる内容あり、突っ込みたくなる内容もあり、ハウエルの皮肉とユーモアが良いのか、はたまた哲学とはそもそもこれ程面白いものだったのか、この本以外の哲学書を知らないので何とも言えないのですが、哲学が小難しいものだと思っている毒舌好きの人にはお勧めの一冊です。これは普通に散文として読んで面白い、珍しい哲学書だ。ショーペンハウアーの人となりは、全く知らないが、よほど辛口なユーモア・センスの持ち主だったようだ。「人間が議論に負けそうになる時にする言い訳」なんて、思わずニヤリとしてしまうくらい、鋭い指摘がなされている。ショーさん（失礼）は「人生とは失意と挫折、絶望の連続だ」と言い切ってしまっているが、似たような考え方の僕には、その辺が共感しやすいのかも。でも案外ショーさん、それなりに人生を楽しんでいたんではないかなぁ、などととも思う。ユーモアのセンスは、本当に暗い人間には与えられないものだから。学習方法について述べている。しかも、安いっしょ？必見だ〜〜〜！
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<title>読書について 他二篇 (岩波文庫)</title>
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<description> 高校時代に読んだ本だ。３０年ぶりに再読して驚愕した次第である。本書で著者は読書の害を説いている。理由としては二点だ

 一点目。著者は 悪書の多さを嘆いている。売文家が 金が名誉の為に 愚にもつか...</description>
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 高校時代に読んだ本だ。３０年ぶりに再読して驚愕した次第である。本書で著者は読書の害を説いている。理由としては二点だ

 一点目。著者は 悪書の多さを嘆いている。売文家が 金が名誉の為に 愚にもつかない本を書き散らかしていると断言している。この状況は そのまま情報過多の現在に通じる。著者の時代と違い、本以外にもＴＶやネットというマスメディアを手に入れた僕らは 更に情報の海に溺れている。その中で 正しい情報にどうやってアクセスすれば良いのか。それが死活的に重要な時代になった。情報の選別をきちんとできないでいると 結局 どこにも行けなくなる。著者が嘆いたのは１６０年前の話だが その嘆きに共感できるということには驚きを感じた。


 二点目。情報を選別し 正しい情報に辿り着いたとしても そこに第二の罠が有ると著者は言う。「読書は他人にものを考えてもらうことである」であるとか「まる一日を多読に費やす勤勉な人間は しだいに自分でものを考える力を失っていく」という警句は現代にしても新鮮だ。本を読むことで 何かを考えてしまった気になることを否定できる人は少ないと思う。


 本書はネット時代の現代になって 本当に精彩を放っている一冊だ。例えば 検索エンジンであるグーグル一つを上記にあてはめても十分考えるヒントがある。
 「検索」とは 良い情報を探すと定義すると 上記の一点目への解決策がグーグルの検索である。
 グーグルの検索結果が「良書」なのかどうかは分からないことは言うまでもない。但し仮に その「検索」が正しいと仮定して グーグルが紹介した情報をどうやって消化するのかが次の課題としてのしかかって来る。この段階では既にグーグルが僕らにできることは無いのだ。考えるのは自分でしかないからである。

 著者は そこで僕らに「それでは皆さんは どのように考えるのですか」と問いかけて来ている。「それにこたえられないなら そもそもグーグルで検索などするな」とすら言っているような気がしてならない。何故なら 考える力が無い人が下手に情報を持つことはしばしば危険だからである。食べ過ぎて消化不良を起こしておなかを壊すらいなら 食べない方が まだ体に良い場合もある。食べ過ぎで起きる病気の数々を考えても良く分かるはずだ。

 情報過多の海を泳ぐ際に 本書を読む意義は大きい。薄い一冊だが 山椒のようにピリリと辛い。僕は気に入ったことが書いてある頁は折って後で読み返す際の印とすることが多いが 本書に対してはあきらめた。すべての頁を折る事には意味がないからである。無闇に多読せず、ふるいにかけられた定評のある本を読め。
読書で他人の思考の後を追うことより、自ら考えることが大切。
文章を書く時は、他人の借り物の言葉で装飾せず、自ら考え、自らの言葉で素直に簡潔に書くことが大切。

本書のタイトルは「読書について」だが、著者の趣旨は、ヘーゲル（また当時のドイツ哲学者、思想家、インテリの多く）がやたら難語使い、新語を作り出し、ひねくった表現で著述する状況への（怒りを伴った）批判と改善・正常化への訴えと思われる。哲学書は難しいですね
でも、この本は最近のビジネス書ブームを予想していたのか(笑)
読書を改めて考えさせられる一冊でした

年に１〜２回程度は読み返したほうがいいでしょう
読書好きなら読んでおくべき１冊だと思いますいわゆる読書家にはぜひ読んでもらいたい本です。共感することがとても多いです。

ショウペンハウエルの重要なメッセージは３つです：

１．本を読むことは他人の考えをなぞることにすぎない。人間は自分で考えて吟味した思考しか自分のものに出来ないのだから、ただ読むだけでは意味がない。読み、そして、よく考えるべきである。

２．本を読むときに最も重要なことは、著者の思考の道筋を読むことである。

３．読むべき本と読むべきでない本を見分けるべきだ。曲学阿世の本が世の中に何と多いことか。


１についてはロックをはじめ多くの思想家たちが説くところです。特に現代においては、知識そのものはすぐに手に入る時代にあるので、自分で考える能力の重要性はより高まっていると感じています。

２については、時に僕は「著者が何を話しているのか」に傾斜してしまっていた感があります。反省。確かに、著者が何を話しているのか、より、著者がどういう思考の道筋を経てこれを話しているのか、を考えた方がはるかに意味があるように思われます。

３については、僕は大学生の頃から気を使っていて、特に重大な理由がない限り、古典を多く読むようにしています。時間の試練に耐え抜いた本には、決して廃れることのない知恵が込められている可能性が高いと思うからです。読書の目的：
読書に対する姿勢や技術について、様々な視点を参考にしたいため 

読後感、感想：
辛辣な文章とはこういう文章のことを言うのだと思った。ショウペンハウエルは、ドイツの箴言警句の大家だったらしい。

「著作と文体」は、途中を読み飛ばしてしまったが、「思索」と「読書について」は非常に考えさせられる内容だった。この本を読んだ後に、新刊を買う気にはなれない。。。

『読書は言ってみれば自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである。・・・』といわれてしまうと、動揺が隠せない。自分の中で来ていた読書の波も、この１冊を最後に、しばらくの（多読）自粛期間に入ろうかと思いました。非常にパンチ力のある翻訳で、影響を受けました。

まあ、とはいいつつも、卓越した古人の古書については、読んでしかるべきだと。そう、ショウペンハウエルに背中を押されたような気がしたので、良書を慎重に探し、読み続けることにします。
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<title>赤と黒 (まんがで読破)</title>
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<description>まんがで読破シリーズは、いくつか読みましたが、読みやすい絵柄とそうでないのとあります。
この赤と黒は、少女漫画っぽい絵柄で、話の流れを見るのにわかりやすく良かったです。
気に入りました。むかし、確か...</description>
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まんがで読破シリーズは、いくつか読みましたが、読みやすい絵柄とそうでないのとあります。
この赤と黒は、少女漫画っぽい絵柄で、話の流れを見るのにわかりやすく良かったです。
気に入りました。むかし、確かに小説を一度読んだような気がするのですが、ちっとも覚えていませんでした。
しかし、マンガを読んでみると、なんと、これが、よくわかるのです。

あらすじだけでも、ちゃんと頭に入れてしまえば、また原書を読む気になろうというものです。

マンガ化されたことで、ずいぶん近づきやすいものになりました。
原作は、なおいっそうよいものだと思いますが、とりかかりには、本書はいい本だと思います。
恋愛も、友情も、裁判も、何から何まで熱いので、
カルチャーショックを覚えました。
法廷で、ジュリアンが被告人として陳述をする見せ場のシーンがあります。
「……今回の事件は僕の計画性がまねいた悲劇です(以下略)」
この台詞、いいです。私も一回言ってみたいよと、ゾクゾクしました。中学生のときにエミリー・ブロンテの「嵐が丘」を読んで猛烈に感動したことを今も憶えているが、「赤と黒」も当時の多感な時期に読むべきだったと、今回まんがで読んで思った。

ジュリアンのような徹底した上昇志向の人間というのは、逆にある意味清々しさを感じるが、私には若いときに読んだマーカス・ヴァン・ヘラーの「アダムとイヴ」というポルノ小説を思い出させた。若い貧しいカップルがお互いの夢を実現するために別れて、セックスを武器にして出世していきお互いの夢がかなっとき再び会うが、もう昔の二人には戻れないことを悟りながらのさりげない会話が忘れられない。

今から恋愛小説はしんどい。貴族界の立志出世が主だが、反面、恋愛についても一つのテーマとして取り上げられている。
恋焦がれる女性を手に入れるには？
主人公ジュリアンは一つの恋の真理を伝えている。
大概の男は...、
「好きだと言えば、女は惚れると思っている。」
でもそれは大間違いで、男の告白（エゴ）に女は貞操の危機を感じてしまい、逆に心を閉ざしてしまうんだということ。
納得！！！ 
恋愛苦戦中の貴方、一見する価値ありですよ。

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<title>マクベス (まんがで読破)</title>
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<description>マクベスの漫画化本です。

原作も短い所為か構成も殆ど同じ、原作どおりの展開です。
絵は最初あまり上手くないかな〜と思っていましたが、
絶望の表情、狂気の表情、欲望の表情のすさまじさ、
いつの間にか...</description>
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マクベスの漫画化本です。

原作も短い所為か構成も殆ど同じ、原作どおりの展開です。
絵は最初あまり上手くないかな〜と思っていましたが、
絶望の表情、狂気の表情、欲望の表情のすさまじさ、
いつの間にかグイグイと引き込まれていきます。
特にマクベスの次第に人ならぬ欲望と狂気のイメージ。
これがはち切れんほど。
善良な男がだんだんと巨大な化け物になって
世界を覆いつくすような感じは見事です。

原作を知っている方も知らない方も是非どうそ。
権力に魅入られた人々と男の狂気の物語をかみ締めてください。人間というものは、欲に目がくらむと行き着くところま行ってしまうということがよく分かります。
一度犯してしまった罪を覆い隠そうと、さらに罪を犯す。
まさに悲劇です。
そんな人間の弱い部分がいたいほどよく分かります。
まさに名作です。
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<title>リア王 (新潮文庫)</title>
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<description>シェイクスピアの作品で『リア王』が、僕は一番好きです。
それは、人の本心を見抜く難しさと、親子の関係、高齢になったリア王の栄枯盛衰。
年齢を重ねてきて、この物語が伝える内容が心に染みてくるからです。...</description>
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シェイクスピアの作品で『リア王』が、僕は一番好きです。
それは、人の本心を見抜く難しさと、親子の関係、高齢になったリア王の栄枯盛衰。
年齢を重ねてきて、この物語が伝える内容が心に染みてくるからです。

いろいろな社会、組織の中で、リア王の心境になることがあるかも知れません。
リア王から、「人を信頼するとは何か？」「愛情とは？」などを学びながら読んだことを思い出す貴重な1冊です。マクベス、ハムレット、オセローと並ぶシェイクスピの４大悲劇のひとつ。

単なる小説として読むと、序盤の話の筋からして、不自然な気がします。

老王リアが、退位にあたり３人の娘に財産分与をしようとするが、
２人の姉は心にもない甘言でリア王に取り入り、末娘のコーディリアは
心のこもった率直な言葉をもらすため勘当の身となってしまう。

ただ、このくだりで、リア王のコーディリアに対する怒りが急過ぎて、不自然に感じてしまいます。
ここをリア王の老いによる耄碌と取ることで、読み進むこともできるが、小説としては不完全さが残ります。

やはり舞台むきな話なのだと思います。舞台だとそういう不自然な部分も舞台ならではの「型」として勢いで見てしまいそうなので。

一方、王権を追われ、こじき同然となり、狂気の嵐の中で、自然の荒れ狂う描写と、リア王の気持ちの荒れ模様が混ざり合って描かれるところは見事だと思いました。
人生の内面が描かれている作品です。仕事がらみで読みました。 
むかぁし、だらっと読んだきりだったので、 
新鮮に読めました。 
翻訳も違うからかな。 

いま、 
冷静に読んでしまうと、 
かなり、ナンセンス、 
というか、無茶な人間心理のやり取りのオンパレード、 
でも、 
あえて、そう書いているということは、 
かなり確信犯的に、 
この作品を、 
こう書いているんだと思う。 

演劇的要素に、託して。 

そうは言っても、 
いま、 
やるとしたら、 
表現方法や、演出のやり方、 
そのくらいしか思いつかなかった。 

読んでおもしろいからといって、 
やってみたいとも、 
観てみたいとも思わなかった。 

愛、 
相手を思う真の愛、 
それこそが、人間を人間たらしめるのか。 
ぼくは、そう、読み取ったけど・・・。shakespeareをはじめて読みました。最初は英文と並べながらこの福田版を読んでいたのですが、途中でその方式を放棄して、ひとまず翻訳で読み通すことにしました。音とリズムではなくドラマをひとまず味わうことに徹してみました。ところで、「リア王」を最初に読んだのがはたしてよかったのでしょうか？筋の発端は陳腐な問答です。そしてその後は二つのプロットが平行して進み後に交差することになります。絶え間なく再生産されて登場してくる悪を動かすものは、決してその根源が掘り下げられて提示されることはありません。ただその醜悪さだけがこれでもかというほど互いに共鳴しあってその論理的な達点へ進んでいきます。最後にかけて、登場人物は立て続けに死んでいくことになります。そして明らかにされるのは虚飾の構造の無意味さというわけで、ここには出口はありません。これを最初に読んだのは間違いだったのかもしれません。シェイクスピアは世界的に権威が確立しており、賛辞以外は許されず、つまらないと書くと「文学のわからない素人」よばわりされるような風潮がある。
しかし、あえて書くけど現代日本人の私が読んだ「リア王」はつまらなかった。
シェイクスピアという事を隠し、この作品を先入観なしに読ませたら、たいていの現代人はそう言うのではなかろうか？
「シェイクスピアは世界的権威だ」という先入観があって読むから、無理に凄さを感じようとしている人が多いのではなかろうか？

トルストイは「リア王」をつまらないと酷評したそうだが、その理由はリア王の激情が不自然だし、道化との対話は余計な悪ふざけだとの事らしい。
私はトルストイの指摘は正しいと思う。
嵐の中でわが身の悲劇を泣き叫ぶというのは、どう考えても不自然だろう。
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