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<title>ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)</title>
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<description>野崎先生の訳の方が良いと評価されていますが､私は村上訳の方をお勧めします。
主人公の社会的反抗的な態度は何も言葉づかいだけ表現されるわけではなく、
ストーリーのなか、場面のなか等をうまく連想させる描...</description>
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<![CDATA[
野崎先生の訳の方が良いと評価されていますが､私は村上訳の方をお勧めします。
主人公の社会的反抗的な態度は何も言葉づかいだけ表現されるわけではなく、
ストーリーのなか、場面のなか等をうまく連想させる描写力に関しては村上春樹は
ぴかいちと思いますが・・・
何より読みやすいです。ホールデンの言葉にうんざりするもの。
うんうんと耳を傾けることができるもの。
はっきり別れると思う。

これほどまで一方的に話しかけられるとだんだんとホールデンの言葉に狂していく。
彼の言葉はカフェインに似た中毒性がある。
ちなみに、僕は完全にノックアウトされたよ。
読後、何とも不思議な気分になった。主人公のホールデン・コールフィールドの過ごしたある一時の日常に自分もそこに立って過ごした気持ちになったし、ホールデン・コールフィールドとやけに親密になった気持ちにもなったし、翻訳されている独特な口調を真似したくなったりした。現在、自分は26歳でこの本を読んだのだけど、十代の頃学校を辞めてしまった同級生はこんな気持ちだったんだろうかと重ねて考えてみた。今の自分と比べてみたりもした。読み始め、正直ホールデン・コールフィールドのことがあまり好きにはなれなかった。変に理屈っぽいし、周りの人間を見下しているし、嫌な奴だなと思った。しかし読み進めていくうちに、彼の方が正常なんだと思えてくる。偽善というものが一切ないから。むしろ、なあなあに流しながら日常を過ごし、それこそその場の気分で「幸運を祈るよ!」に近い言葉を言ってしまう自分がえら悪人のようにさえ思えてしまった。このモヤモヤした気持ちを、自分以外の読者の感想と照らし合わせてみたくなり、ここのレビューを覗いてみたら……レビューの数の多さにやけに納得した。そういう本なんだ。だからこんなに長い間、世界中で読まれているんだろう。巻末に掲載されている、訳者の野崎孝さんの解説もとても良かった。特に、この独特な口調を訳するにあたってのエピソードが興味深かった。偶然にも、自分がこの本を読んだ数ヶ月前に、作者のJ.D.サリンジャーが亡くなっていたという事実を知り、さらに不思議な気持ちが増してしまった。J・D・サリンジャー｢The Cather in the Rye｣の村上春樹による訳書です。 

訳者による“訳書”というよりも“解釈”が至る所に色濃く現れています。原書に目を通したことはまだないので、忠実に再現されているのかは甚だ疑問ですが、他の訳書も手をとってみる必要性があると思われます。 

学校を幾度となく退学させられる主人公。社会に対して自ら適合することを拒み、虐げられた生活を過ごす。その中で繰り広げられる人間模様が描かれています。 折り合いをつけずに過ごしていく先には、何が待ち受けているのでしょうか…。 


「ある程度長い期間にわたって学校教育を受けているとだね、自分の知力のおおよそのサイズというものが、だんだんわかるようになってくるんだ。それがどういうものにフィットして、更に言うならばおそらく、どういうものにフィットしないのかということがね。そしてしかるのちに、それだけのサイズを持った知力がどのような思考を身にまとえばいいのかが、君にも見えてくるわけだ。そうすることによって君は、サイズに合わない理念やら、似合わない理念やらを試着してみる手間を省くことができる。いちいちそんな試行錯誤みたいなことをしていたら、膨大な時間が無駄になってしまうものね。そして君は自分という人間の正しい寸法を知り、君の知力にふさわしい衣をまとうことができるようになる」思春期に読めば共感の持てる内容かもしれないと思った。
文体は面白い。1951年に『ライ麦畑でつかまえて』で登場してからというもの、ホールデン・コールフィールドは「反抗的な若者」の代名詞となってきた。ホールデン少年の物語は、彼が16歳のときにプレップ・スクールを放校された直後の生活を描き出したものだが、そのスラングに満ちた語り口は今日でも鋭い切れ味をもっており、ゆえにこの小説が今なお禁書リストに名を連ねることにもつながっている。物語は次の一節で語りだされる。 ――もし君が本当に僕の話を聞きたいんだったら、おそらく君が最初に知りたいのは、僕がどこで生まれただとか、しみったれた幼年時代がどんなものだったかとか、僕が生まれる前に両親はどんな仕事をしていたかなんていう「デビッド・カッパーフィルド」調のやつなんだろうけど、僕はそんなこと話す気になんてなれないんだな。第1、そんなの僕自身退屈なだけだし、第2に、もし僕が両親についてひどく私的なことでも話したとしたら、2人ともそれぞれ2回ずつくらい頭に血を上らせることになってしまうからね――。ホールデン少年は、教師をはじめとしてインチキなやつら（いうまでもなくこの両者は互いに相容れないものではない）と遭遇することになるのだが、こうした人物に向けられる風刺がきいた彼の言葉の数々は、10代の若者が誰しも味わう疎外感の本質をしっかりと捉えている。
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<title>人間の土地 (新潮文庫)</title>
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<description>「彼は地図をひろげ、匪賊の侵攻を、さながら美しい王女様の伝説でも語るように、示された」
 死は生を際だたせる光だ。自ら進んで死と共に生きることがゆるされた時代のおとぎ話。
ああ、なんておもしろいのだ...</description>
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<![CDATA[
「彼は地図をひろげ、匪賊の侵攻を、さながら美しい王女様の伝説でも語るように、示された」
 死は生を際だたせる光だ。自ら進んで死と共に生きることがゆるされた時代のおとぎ話。
ああ、なんておもしろいのだろう。
胸がときめく。高鳴る。
翻訳した堀口大学の、わざと引っかかりを作ったような日本語も、読者の冒険への憧れをつのらせる。
雲海の上、静寂を突っ切って飛ぶ心持ちや、遠い空港からの通信。危険な旅に命を落としてゆく僚友たち。
「冒険」という言葉が人の心に呼び起こす高揚や儚さ、果てのない広がりが、この１冊にすべて収まっている。
表紙をかざる宮崎駿のイラストもいい。
わたしが男の子で、１５歳のときこの本に出会っていたら、飛行機乗りをめざすか、叶わないなら飛行機乗りの登場する冒険活劇を作りたいと思ったにちがいない。１０年前に読んだら意味がよくわからなかったけど、今なら十分理解できます。聖書が「book of books」といわれることも納得ですね。内容については他のレビュアーの方が書かれている通り、素晴らしいものです。一度で終わらず、事ある度に読み返したりしています。この本は基本的にはサン=テグジュペリの自伝です。なのに、タイトルは「人間の土地」。それに、内容は、飛行家としての体験、行く先々で出会った人間や同僚の話ばかり。なぜ、このタイトルなのか?それを悟ったとき、なにか新しい目を持ったような気がしました。是非読むことをお勧めします。「経験は僕らに教えてくれる、愛するということは、お互いに顔を見あうことではなくて、一緒に同じ方向を見ることだと」。

フランス文学の代表的な名著のひとつ。最初に私が本書を読んだのはもう20年以上前のことだ。しかし、本物は時代を経ても色あせない。飛んで、戦って、愛して、生きたサンテグジュペリの魂が、本書を開くたびにまた新しい勇気をくれる。「救いは一歩踏み出すことだ。さてもう一歩。そしてこの同じ一歩を繰り返すのだ」。そして、ああ、そうだった、まだ何かできることはあるかな、と思う。

気の利いた言葉をくれる書物は巷に溢れている。しかし、「ぼくは、死を軽んじることを大したことだとは思わない」などと断言する知識人が現代に何人いるだろう。本書と、ヤワな自己啓発本や机上理論だけの哲学書の違いは、実はかなりはっきりしている。

「人間と、そのさまざまな欲求を理解するためには、人間を、そのもつ本質的なものによって知るためには、諸君の本然の明らかな相違を、お互いに対立させあってはいけない」。サンテグジュペリの著作は若いころにいろいろ読んだが、一冊となるとやはりこの本に行き着く。訳は確かにもう古いかもしれない。ただ、だからといって本書の価値が失われているわけではない。
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<title>星の王子さま―オリジナル版</title>
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<description>初めて『星の王子さま』を読みとおしたのは、大学生の頃でした。
それまでは、どうにも最後まで読みとおすことができず、
有名なせりふや、簡単なあらすじを知っている程度でした。

「子どもだったころの」親...</description>
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<![CDATA[
初めて『星の王子さま』を読みとおしたのは、大学生の頃でした。
それまでは、どうにも最後まで読みとおすことができず、
有名なせりふや、簡単なあらすじを知っている程度でした。

「子どもだったころの」親友にささげた本。

大学生の頃、それから約5年後、そして今。
読むたびに新鮮な感動を覚えます。
その時期その時期、自分の立場や状況などによって、
感じるものが変わって来るのでしょうね。

読んだのは新訳の方ではなくて、
学生の頃に読んだ内藤濯さんの訳のものです。
初めて読んだときは、キツネと出会って仲良くなった王子さまが、
自分の星に咲いていた、一輪のバラの花への愛情に気付くところが好きでした。

今は、王子さまと作者の別れの場面。
沢山の星の中に、大切な人を重ね合わせてほほ笑む幸せ。

別れや新たな出発のときに、こんな優しい本を読むのも良いですね。
その時その時、自分なりの受け止め方で、素直に読むのが良いと思います。
たとえ「大人」になりきれていなくても、良いのかもしれません。
「かんじんなことは、目に見えない」のですから。
そこには、たしかにヒツジが描かれていた。 

実際には、真っ白な紙に「しかく」が描いてあるだけだった。 
だけど王子さまは「箱に入ったヒツジ」と言った。 

彼が見ているのは、「目に見えているもの」だけではなかった。 


「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。」 


子どもってすごい。 
子ども心を忘れちゃいけない。 

小説や評論だけでなく、 
「絵本」も読むおとなでありたいと思うようになった。 


いつのまにか大人になり、 
いつのまにか疑問を持たなくなった大人たちのルール。 

この本は、子どもからみた「おとな」の滑稽さを教えてくれる。 
忘れかけていた、「数字」では測れない大切さを思い出した。 


真っ白な紙に、「しかく」が描かれている。 
この本を読んだあと、その絵はただの「四角の絵」ではなくなる。 

その四角の中に、目には見えない「なにか」が見える。 
そして、世界で一枚の自分だけの絵に変わる。 

心で見ることを教えてくれる。 
大人に読んでほしい、大人の絵本。最近、Don Quijoteを読んでいて『星の王子様』がスペインのDon Quijoteのパロディのような気がしてきた。帽子の中のゾウなどは、風車を巨人と見なすDon Quijoteの狂気の二番煎じかパロディに思えてくる。研究者の論文は読んでいない。だから、私の解釈が正しいのか誤っているのかは知らない。欧米では、聖書の次に読まれている大ロングセラーで、世界最高峰の文学とされるDon Quijoteだから、他の文学作品に影響を与えていても不思議ではないだろう。王子様ときつねとやりとりが好きです。 
人を思う気持ち。大切なものに気づかせてくれました。 
王子さまのちいさな星にある火山やバオバブの木にはみんなエピソードがあって、
本を読む前はつまらなそうな星だなと思ってましたが、
それは、私が王子様を知らないだけだったと思いました。
人は、見かけや自分の思い込みで物を判断する前に、それはどうしてなのかな？と
考える、想像することが人生を豊かにしていくのだと、この本に教わった気がします。こんな本を「児童書」扱いして欲しくない。
大人こそ読むべき本だからだ。
そして打ちのめされて欲しい。
大人の、大人による、大人のための本である。
涙して嗚咽して、最後まで読んでくれ。何回も読んでくれ。
あなたはこれを読んでいる間、あなたは王子さまのように、孤独を思い出して欲しい。
無垢で、シャイだったころ、うざいのが学校のテストだけだったころのこと。
こんな本を「児童書」扱いする「大人」こそ許せない。
偽善の手法、偽善の何たるかを知ってしまった我々は、我々こそ、これを読む資格がある。
あなたが死の床に就くまで心に残る…いやあの世でもうなされてしまうだろう。
絶対に文庫版を買うな。ハードカバー版を買ってくれ。そしてこれを永遠に読み続けてくれ。
そしておまえの心を鎖からほどいてやれ。
王子さまはページ上では死んでしまう。でも王子さまは今でも、２００９年でも、２０００９でも生きているのだ。???著者の生誕100年を記念し作られた復刻版。挿絵は著者自身が描いた米オリジナル版そのままの絵が載せられている。これまで親しんできた挿絵と比べると輪郭がはっきりしていて鮮明、そのほかにも「ささいな違い」を見つけながら読み進めていく楽しみもある。 ???本書は、ストーリーの展開を楽しむ意味においては子ども向けだが、むしろ大人向けのメッセージに満ちていて、本来人間には「心の目」が備わっているということを呼び起こされる。その、真実を見ることのできる「心の目」をもって、大切にしていかなければならないモノを感じ取り、それを生かしていくことで人は豊かになれるはずなのだが、さまざまなことに心を奪われ見えなくなっていき、やがて見ようともしなくなる（王子が訪れた星に住む大人たちは点灯夫以外その象徴のようでもある）。 ???キツネの言葉「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目には見えないんだよ」は著者からの、大人、そしてこれから大人になる子どもたちへの警鐘なのかもしれない。（加久田秀子）
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<title>星の王子さま (新潮文庫)</title>
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<description>いつの間にか近づいているのだろうか。 
数字にしか興味のなく、 
数字でしか想像できないおとなに。 
「いちばんたいせつなことは、目に見えない」のに、 
見よう見ようといつの間にか肩に力が入っていま...</description>
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いつの間にか近づいているのだろうか。 
数字にしか興味のなく、 
数字でしか想像できないおとなに。 
「いちばんたいせつなことは、目に見えない」のに、 
見よう見ようといつの間にか肩に力が入っています。刊行後60年以上経った今でも世界中の人々から愛されている作品です。
とても読み易く、本当に大切なものは何かを考えさせられる本なので、ぜひ、一度は読まれてみて下さい。おすすめです！！本屋でふと目にとまった「星の王子様」。昔、ホントに小さい頃、絵本で読んだ記憶があります。空から砂漠に王子様が降りてきて・・・、なんかちょっと悲しい話だったような・・・。とイマイチ思い出せなかったこともあり、購入。

砂漠へ不時着した飛行機操縦士の「僕」と、星から星へと旅を続け、地球へたどり着いた「王子様」の出会いから始まるお話で、「あなたにとって本当に大切なものは何？」と問いかけている内容のように感じました。

あとがきを読むと、どうやらこの物語は作者自身の人生を基に描かれたものらしいです。あとがきを読んだ後に「王子様」を子供の頃の作者、「僕」を大人になった作者（実際、作者はパイロットだった）に置き換えててみると、この物語がすんなり理解できるような気がしました。

大人になると、本当に大切なものを忘れてしまい易くなるのだろうか？自分が子供の頃はどうだったろう？と考えながら興味深く読ませていただきました。

読み易い訳が素敵。
28歳にして初めて読んだのだが、最初の感想は、子供が読んで理解できるのであろうかという点。
「目に見えない、けれど大切なこと」は、何となく解っていてもおいそれと口にできるほど確かではない哲学だと思う。
自分の好きな人達の中に未だ読んだことのない人が居たら、薦めて行きたい。
そんな1冊。恥ずかしながら、この作品を今まで読んだことがありませんでした。
タイトルも作者も知っているけれど
どんなお話なのかすら知らなかったのです。
この作品はみずみずしい感性を持っているうちに読んでおいた方がいいと思います。
そうすれば、どんなに大人になっても寄り添っていける作品なんだろうなーって。
私は読むのが遅すぎたな。
そのせいか、あまり印象に残らないんです。
そんな自分の感性がとても残念です。
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<title>ハムレット (新潮文庫)</title>
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<description>例えば、誰もが人生において抱え育てるべき家族の絆という重要テーマ、基本的には人生の歩みに応じて、以下の３つに分けることができるわけだが、

１．この世に生を受けた段階から始まる、親との絆

２．自分...</description>
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例えば、誰もが人生において抱え育てるべき家族の絆という重要テーマ、基本的には人生の歩みに応じて、以下の３つに分けることができるわけだが、

１．この世に生を受けた段階から始まる、親との絆

２．自分が大人になり、伴侶を作り関係を育てる、伴侶との絆

３．さらに、自分とその伴とが親になって、子を産み育てる、子との絆

そこはシェイクスピア、それぞれの家族の絆に応じて、それらをテーマに取り込んだ名作たちがきちんと用意されている シェイクスピアの名前と作品たちが、時代を超えて広く人々に語り継がれ受け入れられるだけの理由は、こういう普遍的なテーマバランスの良さにもあるだろうね

１．ハムレット

２．オセロー 

３．リア王

こういうことを意識しながら上の３作品を読んでみるだけでも、大きく人生について俯瞰できるし、考えさせられることはあると思うよ
 会話文の緊張と緩和が生み出す脈々としたリズムのおかげでどんどん読めてしまいます。登場人物らそれぞれの機知に富んだ言い回しもとても楽しい、というか名ぜりふ連発で気分がすっとしてしまうくらいです。
 全体として読んでさっぱりとした印象を受けるのは、この作品は戯曲であり、ハムレットを主として登場人物たちはただひたすら自分の人生（役）を演戯しているかららしいです。他の純文学作品の主人公には心理的な一貫性があるのに、この作品のハムレットにはそれがないという所がミソです。しかしそれでいてドフトエフスキーなんかの小説と比べて「軽い」という訳ではなく、十分に「あつい」し気持ちが良い。シェイクスピアといえばハムレット。
ハムレットといえばシェイクスピア。
この作品は殺人・復讐・狂気・報復といった人間の負の感情の表現が秀逸である。
時代を超えて語り継がれる本の手本だ。
値段や、本が薄くて持ち運びに便利なのもうれしい。

福田恒存氏の翻訳文は、とても軽快で読みやすく舞台を連想させるものでした。あとがきに、シェイクスピアは、古典文学とする翻訳の仕方もあるけれども、戯曲翻訳として日本人が声を出して読める翻訳でなければならないというお考えが記されています。「ＴＯ ＢＥ ＯＲ ＮＯＴ ＴＯ ＢＥ」にどのような日本語を付したか。ハムレットを読むときの楽しみでもあります。亡きデンマークの国王の息子ハムレットは、父を失った悲しみと父の死後に
即居した彼の弟の現デンマーク王とそんな彼の后となった母への憎しみにく
れていたある夜、野で亡霊となった父と再会する。憎しみに満ちた表情をす
る父によって彼の死に胸のざわつきを覚えた彼だが、再びあった亡霊からあ
る重大な事実を知らされることとなる。父の死と叔父の即位の裏には、凶悪
な陰謀が仕組まれていたのだった…。

シェイクスピアの四大悲劇のひとつにして、彼の代名詞ともいえる『ハムレット』
は、エディプス的要素も取り入れられた、凄惨な復讐譚だ。しかしそんなストー
リーの中でも、ひときわ異彩を放っているのは、主人公ハムレットのその真意の
見えぬ多面的なキャラクターだ。時に義父や后をあきれされる道化を演じたかと
思えば、そんな義父によって仕向けられた自分を処刑させる名目の使いならば、
たとえ級友であったとしも逆に陥れ断頭台に送り込むほどの狡猾さと冷徹さをあ
わせもつ。

彼の真意はいったいなんなのか。彼に感情移入してことの顛末にはらはらしてい
る読者や観客にすればやきもきするところだが、それは明かされぬまま、劇は終
幕を迎える。おそらくことの真相は解題で福田常在が言うとおり、「既にハムレット
という一個の人物が存在していて、それが自己の内心を語るのではない。まず最
初にハムレットは無である。彼の自己は、自己の内心は、全く無」なのだろう。彼
の復讐をはたさんがためにする演技こそがハムレットであって、彼の一挙手一投
足の推察すること自体が、彼の思うつぼなのかもしれない。

なおこの新潮文庫の八十八刷現在には、福田による「シェイクスピア演劇の演出」
というアドバイスのような小論と、彼の年譜の採録されていてありがたい。
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<item rdf:about="http://c-book-011.book-fun.com/detail/06/4560090009.html">
<title>キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)</title>
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<description>野崎先生の訳の方が良いと評価されていますが､私は村上訳の方をお勧めします。
主人公の社会的反抗的な態度は何も言葉づかいだけ表現されるわけではなく、
ストーリーのなか、場面のなか等をうまく連想させる描...</description>
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<![CDATA[
野崎先生の訳の方が良いと評価されていますが､私は村上訳の方をお勧めします。
主人公の社会的反抗的な態度は何も言葉づかいだけ表現されるわけではなく、
ストーリーのなか、場面のなか等をうまく連想させる描写力に関しては村上春樹は
ぴかいちと思いますが・・・
何より読みやすいです。ホールデンの言葉にうんざりするもの。
うんうんと耳を傾けることができるもの。
はっきり別れると思う。

これほどまで一方的に話しかけられるとだんだんとホールデンの言葉に酔狂していく。
彼の言葉はカフェインに似た中毒性がある。
ちなみに、僕は完全にノックアウトされたよ。
読後、何とも不思議な気分になった。主人公のホールデン・コールフィールドの過ごしたある一時の日常に自分もそこに立って過ごした気持ちになったし、ホールデン・コールフィールドとやけに親密になった気持ちにもなったし、翻訳されている独特な口調を真似したくなったりした。現在、自分は26歳でこの本を読んだのだけど、十代の頃学校を辞めてしまった同級生はこんな気持ちだったんだろうかと重ねて考えてみた。今の自分と比べてみたりもした。読み始め、正直ホールデン・コールフィールドのことがあまり好きにはなれなかった。変に理屈っぽいし、周りの人間を見下しているし、嫌な奴だなと思った。しかし読み進めていくうちに、彼の方が正常なんだと思えてくる。偽善というものが一切ないから。むしろ、なあなあに流しながら日常を過ごし、それこそその場の気分で「幸運を祈るよ!」に近い言葉を言ってしまう自分がえらく悪人のようにさえ思えてしまった。このモヤモヤした気持ちを、自分以外の読者の感想と照らし合わせてみたくなり、ここのレビューを覗いてみたら……レビューの数の多さにやけに納得した。そういう本なんだ。だからこんなに長い間、世界中で読まれているんだろう。巻末に掲載されている、訳者の野崎孝さんの解説もとても良かった。特に、この独特な口調を訳するにあたってのエピソードが興味深かった。偶然にも、自分がこの本を読んだ数ヶ月前に、作者のJ.D.サリンジャーが亡くなっていたという事実を知り、さらに不思議な気持ちが増してしまった。J・D・サリンジャー｢The Cather in the Rye｣の村上春樹による訳書です。 

訳者による“訳書”というよりも“解釈”が至る所に色濃く現れています。原書に目を通したことはまだないので、忠実に再現されているのかは甚だ疑問ですが、他の訳書も手をとってみる必要性があると思われます。 

学校を幾度となく退学させられる主人公。社会に対して自ら適合することを拒み、虐げられた生活を過ごす。その中で繰り広げられる人間模様が描かれています。 折り合いをつけずに過ごしていく先には、何が待ち受けているのでしょうか…。 


「ある程度長い期間にわたって学校教育を受けているとだね、自分の知力のおおよそのサイズというものが、だんだんわかるようになってくるんだ。それがどういうものにフィットして、更に言うならばおそらく、どういうものにフィットしないのかということがね。そしてしかるのちに、それだけのサイズを持った知力がどのような思考を身にまとえばいいのかが、君にも見えてくるわけだ。そうすることによって君は、サイズに合わない理念やら、似合わない理念やらを試着してみる手間を省くことができる。いちいちそんな試行錯誤みたいなことをしていたら、膨大な時間が無駄になってしまうものね。そして君は自分という人間の正しい寸法を知り、君の知力にふさわしい衣をまとうことができるようになる」思春期に読めば共感の持てる内容かもしれないと思った。
文体は面白い。1951年に『ライ麦畑でつかまえて』で登場してからというもの、ホールデン・コールフィールドは「反抗的な若者」の代名詞となってきた。ホールデン少年の物語は、彼が16歳のときにプレップ・スクールを放校された直後の生活を描き出したものだが、そのスラングに満ちた語り口は今日でも鋭い切れ味をもっており、ゆえにこの小説が今なお禁書リストに名を連ねることにもつながっている。物語は次の一節で語りだされる。 ――もし君が本当に僕の話を聞きたいんだったら、おそらく君が最初に知りたいのは、僕がどこで生まれただとか、しみったれた幼年時代がどんなものだったかとか、僕が生まれる前に両親はどんな仕事をしていたかなんていう「デビッド・カッパーフィルド」調のやつなんだろうけど、僕はそんなこと話す気になんてなれないんだな。第1、そんなの僕自身退屈なだけだし、第2に、もし僕が両親についてひどく私的なことでも話したとしたら、2人ともそれぞれ2回ずつくらい頭に血を上らせることになってしまうからね――。ホールデン少年は、教師をはじめとしてインチキなやつら（いうまでもなくこの両者は互いに相容れないものではない）と遭遇することになるのだが、こうした人物に向けられる風刺がきいた彼の言葉の数々は、10代の若者が誰しも味わう疎外感の本質をしっかりと捉えている。
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<title>フラニーとゾーイー (新潮文庫)</title>
<link>http://c-book-011.book-fun.com/detail/07/4102057021.html</link>
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<description>何度も読み返した小説です。
フラニーの気持ちには共感できないし、ゾーイーの最後の言葉も
意味がわかりませんが
最初から最後に至るまでの言葉のやり取りが面白かったです。爆笑問題の太田さんが強烈にお勧め...</description>
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<![CDATA[
何度も読み返した小説です。
フラニーの気持ちには共感できないし、ゾーイーの最後の言葉も
意味がわかりませんが
最初から最後に至るまでの言葉のやり取りが面白かったです。爆笑問題の太田さんが強烈にお勧めしていたので読んでみたけど、
実際の内容と彼の解釈とは違うような。（苦笑
一言でいえばこの本は、キリスト教の説法本ですね。ｗ

僕が思うに、世の中の不条理だとかエゴだとか、生きるに
苦しいと思う多くの事は、結局は神を持ち出さないと
逃れることが出来ないのかと、無宗教な自分には、ちょっと
ブルーな気持ちになりましたよ。ええ（苦笑

あーあ、この世知辛い世の中に、こんな本を読んでると、
また西洋コンプレックスに拍車がかかりそう。
彼らがこういう意識を人生のモチベーションとしてるなら、
所詮は西洋文化の上っ面にしか過ぎない個人主義＝利己主義に
汚染された日本の将来は？・・・

 「サトリ」という妖怪がいる。人の心の内を読んで、逐一口に出してくれるお節介な妖怪。
グラース家の子供たちは、人類にとってのサトリなのだ。

 嘘や見栄や自慢や自己弁護を、見破られたいと思う人は少ない。
しかしそれを見破る方にしたら、見たくもないものを見せられて、その真実を顕わにしているだけなのだ。
―何故尊敬されたがるのか―何故在るが儘の自分に満足しないのか―何故満足するまで努力をせず嘘で飾るのか―
これが、フラニーの嫌悪の根底だと思う。そしてそれを嫌悪する狭量な自分を恥じている。

 若い頃、正に泣きながら読んだ記憶がある。あの時、私はフラニーだった。

 嘘、見栄、自慢、自己弁護…どれも他者が在るからこそ人間が必要とするもの。
他者によらず、宗教によらずに生きる事は可能だろうか？
自分なりの価値観や良識を持ち、その上で他者を否定せずに生きる道は。

 この世には美しいものも醜いものもあって、それで世界が構成されている。
しかし、美しいとか醜いとか感じるのも単に個人の感受性の判断であって、
ああ、この厄介な「感受性」とかいうものを、己から剥ぎ取って捨ててしまえたら！
こんなにも激しい感情の起伏に悩まされずに、平安を享受できるかもしれないのに。
若かった私はそう思っていた。今考えると微笑ましいものだ。あの頃は切実だったが。

 フラニーとゾーイーの違いは、年齢によるものだけではないのではないか。
女性であるが故に、フラニーはゾーイーより重い十字架を背負っているように思う。
男性より賢くてはいけない、男性より愛情深くなくてはならない。
ボーイフレンドとの会話でも、そんな重圧を感じる。私が女だからかも知れないが。

 神とは何か―崇拝とは何か。同化することである。それは自分を客観的に見る事と似ている。
神を崇め奉っても、それに近付く努力がなくては、それは単なる自己満足の儀式である。
神は自分であり、世界は自分である。一は全、全は一。
この体の中のこの脳で考えているから、自分が特別なような気がするのであって、
実は世界に特別なものなどない。というか、全てのものが等しく特別なのだ。
この世は神で満ちていると言ってもいい。

 ゾーイーはフラニーに世界の愛し方を教える。自分の赦し方を教える。
嘘や見栄や自慢や自己弁護を、「可愛い」と思えるものの見方。
人間の醜さや弱さを愛すべきものとする、ほんの少しのきっかけを、天啓のように。

 ふたりが幼い時に、シーモアとバディが「知識」より先に「知恵」を与えたのは、愛情からだ。
若しくは自分がそう在りたかった理想から。まあ僅かな実験的意欲も感じるが。

 親への反抗期がなければ親離れはできないという。本当の親離れとは対等の目線から親を愛するという事なのだ。
これはフラニーの世界への反抗期の物語であり、一度は離れた世界を再び愛するまでの物語である。不思議な読後感。なんか爽快。
長い思春期から目覚めたような気持ちです。

思春期真っ只中のあなたはもちろん、大人になったあなたが、思春期の時(にかぎらず多感な時期)に向き合いながらもどうしようもなく、ずっと胸に留めてきてしまった気持ちを、解放してくれるそんな物語。

個人的な感想ですが、この本を読んだ後、当分本は読まなくていいなと思いました。
そして、外に出て、動きたい！見たい！感じたい！ そんなエネルギーをくれた本。

感受性が強く、自分の繊細な気持ちに、疲れてしまった、フラニーのようになった時に、これからも何度も読み返すでしょう。きっと『太っちょのオバサマ』がまた助けてくれるから。

大昔に4回読んで、それでもやっぱり意味が分からなかった『狭き門』のアリサのことを思い出した。
っていうか、宗教について考えはじめる女の子は具合が悪くなるくらい、いったい何に悩んでいるのか。
それが理解できないというか共感できないというか。
どうでもいいけど、その「チキン・サンドイッチ」早く食えよ。って云いたくなる。
そんな小説。

ほとんどの部分を会話が占め、ページ数も少ないけれど、思ったほど簡単な本ではない。
フォントが小さく改行も少なくて読みにくいし、内容がまたクセのある饒舌な科白で構成されている。
すごく読んでるのにちっとも時間が進んでないような錯覚を覚える。
グラース夫人はいつまでたっても息子のバスルームを出ていかないし、ゾーイーはいつまでたっても妹のいる居間を出ていかない。

神をどう理解したものか、ということをそこそこ真剣に考えてきた人であれば
それなりに感動、というか共感するところのある小説であると思う。?『Franny and Zooey』（邦題『フラニーとゾーイー』）は、それぞれ別に発表された「Franny」（1955年）と「Zooey」（1957年）を1つにまとめた作品である。名門女子大で演劇や詩を学ぶグラース家の末娘フラニーは、過剰な自意識にさいなまれ、エゴの蔓延する世の中に吐き気をもよおし、デートの最中に失神する。心身のバランスをくずした彼女は、「ひたすら祈れば悟りが開ける」と説く「巡礼の道」という本に救いを見出そうと、自宅のソファーの上で子どものように丸くなって祈りの生活に入る。当然、家族にしてみれば、睡眠も食事もろくにとらない彼女が心配でたまらない。兄ゾーイーの懸命の説得もむなしく、フラニーの心はかたく閉ざされたまま。あげくの果てには、亡くなった長兄シーモアと話がしたいと言いだす始末。 ???そんな妹のために、兄の啓示を受けるべく、ゾーイーは久しぶりに兄の部屋に足を運ぶ。戻ってきた彼は理路整然とフラニーの過ちを指摘していく。「目の前で行われている宗教的な行為（母親はなんとかチキンスープを食べさせようとしている）に気づきもしない人間が、信仰の旅に出て何の意味があるのか」など、ゾーイーの口を借りて伝えられるシーモアの言葉にフラニーは…。 ???服装や言動の緻密な描写が暗示する登場人物たちの内面すれ違っていく男女の心、フラニーが神経衰弱に陥っていくまでの心の動き、妹を救うためのゾーイーの奮闘、そして、死してなお絶大な影響力を持つシーモアの思想など、読みどころの多い作品。（小川朋子）
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<title>夜間飛行 (新潮文庫)</title>
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<dc:date>2010-05-30T22:57:45+09:00</dc:date>
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<description>危険を冒してまで自らの職責を果たそうとする気高き者たちが美しく描かれています。

操縦士たちは闇に向かって飛び立ち、ときに雷雨突風を伴った嵐のなかで孤軍奮闘し、
ときに満々と輝く星辰を縫って飛行しま...</description>
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危険を冒してまで自らの職責を果たそうとする気高き者たちが美しく描かれています。

操縦士たちは闇に向かって飛び立ち、ときに雷雨突風を伴った嵐のなかで孤軍奮闘し、
ときに満々と輝く星辰を縫って飛行します。

彼らが孤高で美しいのは、いつ訪れるかもしれない死の硬度によって生が彫琢され
玉としての価値を維持しているからだと思います。

そして、夜間飛行による郵便事業の存亡を、その肩に担う
支配人リヴィエールは確固たる信念によって
人員に規律を守らせ厳しい態度で接することを終始貫いていますが、
心の奥底は

「愛されようとするには、同情さえしたらいいのだ。
ところが僕は決して同情はしない。
いや、しないわけではないが、外面に現さない。」

という言葉からうかがい知ることができます。

他人以上に自分を律し、不測の事態にいつでも対応しておけるように
しているリヴィエールの冷たい美意識が伝わってきます。
「星の王子さま」の作者が書いた作品だけど、その雰囲気は「星の王子さま」とは似ても似つかない。
「星の王子さま」がふんわりとした優しい作品だとしたら、「夜間飛行」には優しさは欠片も出てこない。
あるのは冷たく厳しい現実と、それにさえ揺るがない、毅然とした使命感。
そしてそれ故に、この作品には静かで透き通った、
まさしく彼らの飛行機が行く夜の空のような、何物にも代え難い美しさがある。

舞台はまだ郵便飛行の草創期、夜間の飛行などは命がけであった時代の、
南アメリカ植民地にあるフランスの輸送会社だ。
主人公である支配人のリヴィエールは、その危険を理解しながらも夜間飛行の事業を断行する。
「危険だとわかっていながらも、大きな理想のために命をかける」。
歴史上、そういう英雄は数多く存在したし、創作においてもそういう作品は数多いだろう。
不屈の精神で困難な状況を乗り越えていく、いわゆる「冒険」ものだ。
だが、この作品はそういうものとは大きく違う点がある。
主人公のリヴィエールは、飛行機のパイロットではないのだ。
彼が掛けるのは自分の命ではなく、他の、彼よりも年若い操縦士たちの命だ。
自分の命ではなく他人の命をその肩に負うリヴィエールには、
ある意味においては自分の命をかける以上の苦しみと恐怖、責任がのしかかる。
だがそれでも、彼は「人間の生命以上に価値のあるもの」
「個人的な幸福より永続性のある救わるべきもの」を信じている。
彼の、恐ろしいほどに厳格で真っ直ぐな一本の意志が、
この作品全体をぴんと張り詰めた雰囲気で貫いているのだ。

同時収録の、サン＝テグジュペリの処女作「南方郵便機」は
一転して甘い雰囲気の、フランスらしい情緒的な作品。
フランスの恋愛映画なんかが好きな人にはいいかもしれない。
僕は「夜間飛行」の方が好みだけど。ゲラン社のジャック・ゲランが友人サン・テグジュペリの「夜間飛行」へのオマージュとして作り上げたとされる名香「夜間飛行」。 
この香水の存在のせいなのか、それとも「飛行機乗り」というシチュエーションがそう読まれやすいのか、「夜間飛行」という作品を語る人は「ロマンティシズム」を超えて「センチメンタリズム」という言葉を乱発するように思う。疑うなら、ためしにgoogleででも「夜間飛行・テグジュペリ」とでも入れて検索してみると分かる。 
でも、私はこの話を読むときにいつもいつも、激しく胸が痛む。この作品に限らず、テグジュペリの作品を読む行為は私にとって、いつでも強い痛みを伴う。その痛みというのは、いわゆる陶酔や単純な男の浪漫だとかで説明できるような曖昧模糊としたものではなく、ナイフをきっかり突き立てたような、明確な痛みなのだ。鼻の奥がツンと痛む、あの不快を伴う痛みなのだ。 
「夜間飛行」でのそれは、ファビアンが恍惚として雲海の彼方へと吸い込まれてゆく場面で頂点に達する。この場面を読むたびに私には、なだらかな雲海を縫ってまばたく稲妻のほそい光、その上にはてしなく広がる暗いはずの空が、なぜか黄金色に輝いているのが見える。ファビアンの飛行機は追い風に乗って、どこまでも空へと舞い上がる。そうだ。飛行機は海へと落下したのではなく、空へと落ちていったのだと思えてならない。 
その鮮やかな場面で、くりかえし、私は痛みを覚える。ファビアンの妻が会社の廊下で俯いているからではない。リヴィエールがそれでも次の飛行機を空へ放つからではない。単純に、空へと吸い込まれる瞬間のファビアンに対して、空へ還る瞬間の命に対して、たったいま彼が死したのだと思うくらいに強い哀しみと悼みを覚えるから。私がファビアンであること。ファビアンが私であることを、あの雲海の場面は私に知らしめる。 
「夜間飛行」の物語はサン・テグジュペリがリヴィエールに託したセンチメンタリズムなのか。殉職？したファビアンは究極のロマンティストなのか。とんでもない。私にとって、これは感傷などではくくることができない、あまりにも現実的過ぎる感覚を味わう数少ない物語だ。 
世の倣いに背いて何かを全うしようとする人間は、必ずその現実の生々しさを味わう。味わいながら、苦味をかみ締めながら、あるときは家族を、恋人と、あるいは自らの命をも犠牲にしながら、歩をすすめるしかないときがある。その生き様に「ロマン」の香りを加味するのは、いつでも後世の人間でしかない。私はテグジュペリの物語をただの夢で終わらせるのは間違っていると強く感じる。この物語は物語だからこそ、フィクションだからこそ、ロマンティシズムの干渉を受けないですむのではないか。冷静に評価されるのではないか。生身の人間の人生は語られることによって脚色される。すでに語られているフィクションは、それ以上の干渉は不要となるはずではないか。 
実際にはそこには読んだ人間の感想や読み方というものがあり、語られたままの物語などこの世には存在しないことが分かって、再度、肩を落とす。 
リヴィエールは事故を恐れなかったのか。 
ファビアンは飛行機とともに死すことにおびえなかったのか。 
夫を待つ妻はその死に対して納得することができたのか。 
サン・テグジュペリの筆は厳しく、冷徹なまでに淡々と彼らの行動を描き出す。だから痛い。だから私には、簡単に手にとることができない。 
生きた人間の一生を一から見直すことは後世の人間には不可能だけれど、語られた物語を繰り返し読むことはできる。そうして、読むことによって人は語られた物語を追体験する。語られた時点で事実はフィクションとなる。けれど、フィクションだからといって必ずしも感傷的とはならないのだ。 
シビアな現実の中でこそ生きるロマンの必要性を描き出す「夜間飛行」は、サン・テグジュペリという究極のリアリストが残した、「魂のノンフィクション」なのだと思う。戦争という時代背景の中で社会的使命も担った「戦う操縦士」も魅力があるし、世界中で最も広く愛されているのは「星の王子様」になるけれど、未完の「城砦」をとりあえず除くと、サン=テグジュペリの著作の最高傑作は「人間の土地」だと思う。

しかし、小説としての完成度ということでいえば、私にはこの「夜間飛行」が一番いい出来の作品のように思える。危険な時代の夜間飛行をめぐって、絞られた特徴的な人物と印象的な場面設定で、緊迫した物語が無駄なくスピーディに展開し、息をのむ。見事な出来だと思う。この小説は、最初の原稿はかなり量があったようだが、このようにより短い形にギュッと濃縮して世に送り出したのは正解だった。

もう一方の「南方郵便機」の方は、ちょっと冗長な文章と効果的な場面転換が印象的。個人的には訳者が述べているほどの名作だとは思えないが、処女作が得てしてそのようなものであるように、この作品もサン=テグジュペリの個性を強く反映した作品になっている。ただ、こちらの作品は、ストリーは自体は良くできているのに、少し衣（ころも）をつけ過ぎた。レトリックを効かせすぎてちょっと退屈だし、おまけに訳にも日本語としておかしいところが散見される。

ちなみに、表紙の絵は宮崎駿監督が描いています。『夜間飛行』と、 
『南方郵便機』の二作。 

『星の王子さま』と並ぶ、 
サン=テグジュペリの代表作である『夜間飛行』は、 
彼を作家としての確固たる地位に押し上げた。 
まだ、飛行機で飛ぶことが、 
今ほど安全ではない時代に、 
自らもパイロットして労働していた作者が、 
そのストイックなまでの、 
郵便航空機の世界を、 
詩的な文体で綴った物語。 
「幸福は義務の中に」、 
そう言える労働が、 
ほとんど失われた時代に、 
あこがれてしまうような、 
郵便飛行に携わる人々の姿勢。 
クールであり、 
情熱的な向き合い方に、 
強く惹かれていく。 

『南方郵便機』は、 
サン=テグジュペリのいわゆるデビュー作。 
訳者は、 
『夜間飛行』以上に優れた作品と評している。 
いつ還らぬ人となるかわからない、 
危険な仕事に従事する郵便飛行士たち。 
未知の航路を開拓しつつ、 
彼らは郵便を届け続ける。 
その危険な労働は、 
命を落とすことも少なくなかった。 
作者の自伝的要素の強い作品で、 
恋人（不倫・・・？）であるジュヌビエーブとのくだりは、 
なんとも言えず、 
切なさと、甘いあこがれとを伴っている。 
訳者同様、 
読みにくさはあれど、 
僕もこっちのが好きかもなぁ。
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<title>星の王子さま (岩波少年文庫 (001))</title>
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<description>この本に出会ったのは「知ってるつもり?!」という番組で紹介された時なので、20代半ばから後半頃だったかと思います。それから１年〜２年おき位には読んでます。
決して分厚く、長い話ではないのですが、数行...</description>
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この本に出会ったのは「知ってるつもり?!」という番組で紹介された時なので、20代半ばから後半頃だったかと思います。それから１年〜２年おき位には読んでます。
決して分厚く、長い話ではないのですが、数行読んでは考え、また数行読んでは
考え・・といった読み方になってしまうので読み始めると、読み終えるまでにとても時間がかかってしまいます。
「大切なことな目に見えない」というキツネの言葉もすばらしいのですが、個人的には「沢山の星の中の一輪の花」のくだりや最後の方の「沢山の井戸」のところが好きです。
色々事情があって、お別れしなくてはならなくなったお世話になった大切な人にこちらの訳ではなく新潮版ですが餞別として送りました。今辛い状況にあるその方に、自分の伝えたい真意が伝わればと思うのですが、何か一つでも感じてもらえたら良いなと願っています。この本を読んで自分でも気づかないうちにに大人になっていってることに気づき、涙が出ました。この中に出てくる花に対する言葉がBUMP OF CHICKENの『花の名』という唄の一節を思い浮かべさました。「あなたが花なら 沢山のそれらと変わりないのかも知れない そこからひとつを選んだあなただけに歌える唄がある 僕だけに 聴こえる唄がある」この唄と同じ様に、僕にとって星の王子様はたくさんの大切なことを思い出させてくれる大切な本になりました。 高校生の頃に（実存主義研究がテーマにあって）読みたかった本ですがずっと読みそびれていて、最近になってようやく読む機会がありました。
 少年文庫ですが、本当に小さな子供さんには少々難解な内容です。幼いお子さんならこんな王子様が地球にやってきてやがて旅立ったんだよという物語としてしか読むことができないでしょう。単純に童話としての理解ならばそれでも良いと思います。それなりに夢のある話に仕立て上げられているでしょうし、分からない部分は親が話して聞かせればよいということになります。でもこの物語は小さな星の住人が旅して、人間社会のむごさ、くだらなさあるいは逆に喜び、身近な存在の中から価値を見出すことなどといったものを学び取っていくストーリーといえます。人間どう生きるべきかという根元的なテーマが強烈な風刺の中に宿っているわけです。効果的な原作者の挿絵と共に強い印象が残ります。自己中心的な考え方しか持てない大人たちに是非読んでもらいたい１冊です。星の王子さまは、真実だけを知りたい。質問することをためらわないし、嘘はすぐに見抜いてしまう。大人になれば清濁あわせて飲み込んで、純粋でいられないこともあるし、子どものようには振舞えないが、それゆえに様様な問題を作ってしまう。「本当のこと」意外はどうでもいいことだと、王子に教えられるような気がします。

王子は愛していた花と別れ、その後地球にやってきますが、ここではたくさんの花が咲いているのを見て泣きます。自分の持っていたものが、ありふれた花で、それも一つだけだったと。ところが、この後で出会ったキツネが色々と大切なことを教えてくれて、王子も読者も「本当のこと」に気付いていきます。

･かんじんなことは目に見えない
･自分の一つのバラを大切に思うのは、そのために時間をかけたから
･めんどうをたら、いつまでも責任がある
･幸福を感じるためには、4時とか、木曜日とか、きまりが必要

このキツネはいいこと言う。大人になって初めて読んだが、得るものがありました。読み継がれていく名著と言われるだけのことはあります。小学生時代以来３０年ぶりに、手に取った。
こちらを眺めて初めてしったのだが、最近ではいろんな方の新訳が出ているようでもある。そういう息の長い書なのだろう。

しかし、こんなにも難解な書を小学生の私が読んでいたのだろうか？
いま読んでも、結構に重いテーマのストーリーだ。

どなたかがおっしゃっていたが、大人が読むべき本だと思われる。
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<item rdf:about="http://c-book-011.book-fun.com/detail/10/4102057013.html">
<title>ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)</title>
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<description>９つの物語を収録した自選の短編集です。自己の理想と現実の世界に挟まれ苦悩する人々の自我を描き出しています。

「大部分の人が物をあるがままには見たがらないことなんだ。生まれては死に、生まれては死にし...</description>
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９つの物語を収録した自選の短編集です。自己の理想と現実の世界に挟まれ苦悩する人々の自我を描き出しています。

「大部分の人が物をあるがままには見たがらないことなんだ。生まれては死に、生まれては死にして始終それを繰り返すのを止めることさえいやがるんだな。それを止めて、神のもとにとどまる―この神のもとこそ本当に楽しいのに、彼らは神のもとにとどまろうとしないで、始終新しい身体をほしがってばかりいるんだ」 全編を通して、目に見えるもの、耳に聞こえるものしか描かれていない。 
登場人物の心中は一切書かれず、動作と会話の描写だけ。読者はそれから何かを読み取るしかない。 
でも、それは人間が現実で日常的にやっている事の筈だ。 

 漫画等が受け入れられやすのは、登場人物の心情が描かれるからだろう。 
モノローグが多いほど人物を理解し易く、感情移入し易い。つまり感動し易い。 
そういう近道を一切排除したサリンジャーの作品群。 

 この作品に続く「フラニーとゾーイー」「シーモア―序章―」を読めば、理解が深まると思う。 
「ナイン・ストーリーズ」に登場する人物のうち何人かが血縁関係にある事が解るので。 
「バナナフィッシュにうってつけの日」の主人公は、七人兄弟姉妹の第一子。 
「コネティカットのひょこひょこおじさん」の主人公の亡き恋人は双子で第四子か第五子。 
「小舟のほとりで」の少年の母親は第三子。
 全員が、普通の両親のもとに生まれた天才という名の畸形児。

 吉田秋生氏の「BANANA FISH」への引用は有名だが、
鴨居まさね氏の「秘書・恵純18歳」の主人公の名前も「エズミに捧ぐ」からだろう。
探せばまだまだ出てきそうな気がする。

 サリンジャーの訃報を聞き、本当に寂しく思う。
人生の半ばで、モノローグだけでなく言葉で表現することからさえも卒業してしまった彼の遺品から、
完璧な「グラース・サーガ」が発見されないかと、そればかり願っている。 本書の作品の幾つかは、人知れず思い悩む人々を描いている。合理的ではない人間の、切実だけど人には説明しがたい苦悩が描かれている。

 本書の後書きによると、サリンジャーは、作品を作者から独立して評価してもらうために、自分に関する情報を出来るかぎり隠したという。
 しかし、これだけ繊細で巧みな作品を生み出したのが、どのような人物なのか、思いを巡らす人も多いだろう。
 評者も著者について想像してる事がある。サリンジャーと言えば「ライ麦畑で捕まえて」が有名であるが、評者はこのナインストーリーズの方がサリンジャーらしい作品だと思ってる。両者を比較すると「ライ麦」は不自然なくらいに分かりやすい。逆に本書はとても技巧的で読者を選ぶ作品だ。本書が著者がもてる才能や技術を余さず注ぎ込んだ作品なのに対し、「ライ麦」は、理由は分からぬが、自分の持つ技術に敢えて封をして書いた作品に思える。
 おのれの技術を存分に注いだ作品の方がサリンジャーらしいのではと思う。

 例えば、本書の最初の二つの作品では、話の幹になる部分を外して、周辺から描写しはじめる。そのためそれぞれの文章は糸の切れた数珠のようにまとまりがなく、最後に到るまで、何を描こうとしているのか分からない。特に二つ目の作品は主人公が誰なのかも最後まで分からない。
 そして最後の数行が全体を貫く糸となり、これまでの文章に意味を吹き込む。
 とても技巧的な作品だと思う。

 途中の文章は、一見とりとめが無い内容だが、想像力を喚起させるもので、その影に、暗示された何かを意せざるをえない。何も意識しない人には最後まで読み進むことは苦痛であろうし、読んでも何も分からないかも知れない。

 情け容赦のない合理性を持つ読者を排除して、感受性豊かな登場人物の繊細な思いを、分かる人にだけ伝える。本書はそんな読者を選ぶ作品だと思う。「ライ麦畑でつかまえて」で日本でも有名なJ.D.サリンジャーの自選短編集。「ライ麦...」は私が高校生の頃、若者のバイブルとして読まれたものだが、本作も同じ香りが漂って来る。ベトナム戦争のドロ沼化による厭戦(世)気分、それに伴い夢・希望を見失った若者の苦悩と喪失感、ベトナム帰りの青年の精神的瓦解。これらの背景を知らないと、各編の意図が分かり難いと思う。冒頭の「バナナフィッシュにうってつけの日」における青年の行動がまさに典型である。

各編を貫くのは、戦争・暴力の否定であり、当時の社会の中で生きる若者や世の中に馴染めない人達への応援歌である。ただし、素直なストーリーは少なく、読者を突き放した書き方をしているので、チョット取っ付きにくいかもしれない。(武闘派の)ヘミングウェイを揶揄した箇所が多いのは、個人的な悪感情か ? その中で「笑う男」は荒唐無稽な創話が現実に影を落とすストーリー・テリングの巧みさが光る。次編「小舟のほとりで」と共に、作者が子供に暖かい眼差しを注いでいる事が窺える。「エズミに捧ぐ」は冒頭の結婚式への招待状から、それに繋がる過去のある一日の甘酸っぱい回想、そして主題に移る構成が作者の意匠を明言しているかのよう。「愛らしき口もと目は緑」は電話での会話だけで構成した皮肉な内容の作品だが、電話相手が元軍人である事を明示している点に注意したい。「ド・ド−ミエ=スミスの青の時代」は「ライ麦...」を想起させる伸びやかな筆致の作品。「テディ」は天才少年を通じて東洋的輪廻思想を語った不思議な作品。

まさにアメリカ文学の良心を凝縮したような珠玉の短編集。著者の作品は、微妙なバランスの上で、かろうじて平衡が保たれている、ガラス細工の様なものだと感じる。
会話部分は、繰り返しが多く、くどい印象もあるが、これが、文章にリズムを吹き込んでいる。

また、精神に問題のある人物が、しばしば登場する。
そのため、解釈困難な内容が、かなり盛り込まれている。

それでも、作品としての平衡を保っている、という、不思議な魅力がある。
しかも、ある意味、刺激的でもある。

この翻訳も巧みであるが、おそらく、原文で読むと、もっと魅力を実感出来るのでは？と思う。
幸い、講談社英語文庫から、安価な原書版も出版されているので、こちらの方にも、興味がわいてきた。

本書は、暇潰しのために読むには、少々不向きだ。
じっくりと、味わうべき作品群だ。
???1953年に出版されたサリンジャーの自選短篇集。「グラース家の物語」の発端となるシーモアが登場する「A Perfect Day for Bananafish」、WASP中心のアメリカ社会で助けあいながら生きていくユダヤ人親子を描いた「Down at the Dinghy」、男女の不倫を描いた「Pretty Mouth and Green my Eyes」など、9つの作品が収められている。中には、ドイツ製のルガー拳銃の性能を証明するために、ヒヨコの頭を撃ち抜いたヘミングウェイの残忍性を風刺して書かれたといわれている、次のような作品もある。 ノルマンディー上陸作戦に向けて3週間続いた特殊訓練を終えたX軍曹は、喫茶店で1人の少女に声をかけられる。先ほど教会の児童合唱隊で、ひときわ美しい声で歌っていた少女だ。さびしそうにしていたから声をかけてみたと言う少女と、彼はつかの間の平穏なときを過ごす…。やがて戦争は終わるが、X軍曹は心身ともに深い傷を負う。ある日、彼は手元にあった小包を開く。中にはあのときの少女からの手紙と、彼女の父親の形見である腕時計が入っていた。2人が共に過ごした時間は、長い人生においてはほんの一瞬のできごとに過ぎない。それでも、少女の手紙には、彼に安堵の眠りと魂の救済をもたらす不思議な力があった。（「For Esme-with Love and Squalor」） ???発表以来、精神分析や東洋思想などの立場から、さまざまな文学的解釈がなされている短篇集であるが、読み物としても十分おもしろい。何年かたってから読み直せば、以前は見えなかったものが見えてくるような、味わい深い作品である。（小川朋子）
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<title>ハツカネズミと人間 (新潮文庫)</title>
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<description>情景描写が鮮やか。英文は比較的易しく、描かれている場面が生き生きと目に浮かびます。
多くの人たちが苦しい生活を強いられていた大恐慌時代のアメリカ・カリフォルニア。農業労働者のGeorgeとLenni...</description>
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情景描写が鮮やか。英文は比較的易しく、描かれている場面が生き生きと目に浮かびます。
多くの人たちが苦しい生活を強いられていた大恐慌時代のアメリカ・カリフォルニア。農業労働者のGeorgeとLennieのある農場での四日間を描いている。
内面描写はほとんど無く情景描写と会話のみで話が進んでゆく。
感じの悪い農場主の息子のCurley、右手を事故で失って掃除夫として働いているCandy、馬小屋で働いている一人ぼっちの黒人Crooks、農場でのCurleyとの結婚生活が嫌で仕方がないCurleyの妻などが、物語の中で造形されたというよりも、この現実の世界で頑張って生きていこうとしているが、弱いところや醜いところも併せ持った原寸大の人間として描かれている。
発達障害のあるLennieが問題の源であるように見える。しかし、単にLennieが引き起こした問題と結果というのではなく原寸大の人間の集まりが生んだ一つの結末なのではないだろうか。
馬小屋での悲惨な出来事があって事態はどうなるのかと読み進むと、“Curley gon’ta wanna get ‘im lynched.”(p.94)とありGeorgeが“I ain’t let ‘em hurt Lennie.・・・I’m gonna go in the bunkhouse.”(p.95)ときてCandyの老犬を始末したCarlsonの拳銃Lugerが無くなっていると分かったときある予感がした。Lennieが一人で身を隠している場面で夕暮れが近づき“… ,and the hilltops were rosy in the sun.”(p.99)→“Only the topmost ridges were in the sun now”で「いよいよかな」と思った。
Georgeの優しさが哀しい。
高校生の時に読んで、もの凄く感動したことを覚えています。
章ごとに描かれる大地の情景、雰囲気、匂いが鮮烈にイメージで浮かび、読んでいて引き込まれました。
大人になった今でも人生最高の一冊です。

感動した理由を高校生の頃は上手く言うことができませんでしたが、今なら言える気がします。
二十日鼠も人間も、共に自然（大地）の中に生きている（生かされている）。自分たちが「生きる」ことに一生懸命な、しょせんは小さくて儚い生き物。

今になって思うことは、
そんな二十日鼠も人間も大地の一部である、ということです。
理屈ではなく、素直に自分の感性の感じるままに読んで欲しい本です。６０歳でノーベル文学賞を受賞したジョン・スタインベックの３５歳頃の作品。
この頃から世間の注目を集め始めました。
他に「怒りの葡萄」や、「エデンの東」などの著作でも知られます。

「ハツカネズミと人間」は、世界大恐慌時のカリフォルニア州が舞台。
2人の出稼ぎ労働者、力はあるけど賢くないレニーと、郷里が同じでレニーを子供のときから面倒みてきたジョージとの悲劇の物語です。

社会の底辺にいる出稼ぎ労働者の悲哀と、夢はなかなか現実にはならないものだという
運命論的なものが伝わってきます。
夢というのは難しいですね。
自分自身の夢かと思っていたものはチームの夢だったり、
チームも誰とでもいいわけじゃなくて、俺とあいつだから、
この二人だから見られる夢というのはあるなと読んでいて思いました。

なかなか読みやすい小説で印象に残ります。
ノーベル文学賞受賞者の作品を若い時のでいいからとりあえずどれか読んでみたいなと思う方にはオススメだと思います。不器用な男たちが夢を描き、将来に希望を見出そうとするが、
現実という、時として無慈悲な壁が彼らの前に立ちはだかり、行く手を阻む。
広大な土地とそこに生きる人間の粗野さ、たくましさが瑞々しく描き出されている。

作者は簡潔に事実のみを綴っているようで、そこには熱くヒューマニスティックな眼差しがあり、
読者には行間を想像する余地が与えられている。

タフで精悍なアメリカのエッセンスが感じられる中編小説。レニーの2回の暴力（？）シーンが鮮やか。キャラがそれぞれ立っている。
表題のmenは「人間」よりも「男たち」というほうがいいような気がする。
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<title>オセロー (新潮文庫)</title>
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<description>ヴェニスの将軍にまで上りつめた勇敢なムーアの武人オセローは、ヴェニス
の議官ブラバンジョーの娘デズデモーナと、その父の反対に遭いながらも結
ばれる。しかしその裏では、彼の腹心とその女を我が者にしたい...</description>
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ヴェニスの将軍にまで上りつめた勇敢なムーアの武人オセローは、ヴェニス
の議官ブラバンジョーの娘デズデモーナと、その父の反対に遭いながらも結
ばれる。しかしその裏では、彼の腹心とその女を我が者にしたいと狙う男た
ちによって、ある巧妙な策略の糸が張り巡らされようとしていた…。


シェイクスピアの四大悲劇の一つに数えられるその名も『オセロー』は、愛情
の高まりが強いほど、その反動としての嫉妬と怒りも強まるということを例証
しているようにも思える。イアーゴーによる巧妙な策略によって、オセローとデ
ズデモーナとの永久とも思えた愛情は軋みを挙げながら崩れ始める。
 
しかし重要なことは、それがオセローの内面にのみで起きた疑心にすぎなかっ
た、ということだ。悩める者の助けになろうとしているデズデモーナには、オセ
ローへの愛情を曇らすような疚しい感情は一点もない。どんな種火でも大火災
になることはある。いや、実際には種火さえいらない。火のないところにも煙は
たつのだ。
 
ということで、この戯曲を読み終わったと、我々現代人が読み取るべき「悪」
とはなにかが、わからなくなってくるのだ。それはイアーゴーという知恵を他人
を精神の奈落に陥れる狡猾さとしてしかつかえない愚者なのだろうか。それと
も、オセローという最愛の者を信じずに信頼のおける腹心の言葉を盲目的に信
じつづけた実直な愚者か。
 
終幕においてイアーゴーと決別し、ようやくオセローは自分がだまされていたこ
とに怒っているのではなく、だまされて怒らされているということに気がつくのだ
けれど、最愛の人を骸にした後では遅すぎる。オセローは悲劇の英雄のようで
いて、実は真っ先に断罪されるべき「共犯者」の側面もあるように思える。訳者の福田恆存氏は、解題の中で、４大悲劇と呼ばれている物語の中で、オセローだけが異色であると書かれています。
霊、魔女といった神秘なるものが登場しません。
そして、オセローがあまりに簡単にイアーゴーの言を信じてしまいすぎないか、と。

恋という言葉を聞くと、匂いたつような甘美な思いを巡らせてしまいます。
絶世の美女と恋に落ち、二人の間の障害を乗り越えてやっとの思いで結ばれる。
男として、これほどの幸せは他にないでしょう。
恋に身を焦がしたことのある方なら、きっとその続きがあることをご存知のはず。
恋をした男にまとわりつくのは、幸福の偏在に嫉妬する者達ばかりです。
美しければ美しいほど、恋すれば恋しいほど、邪心が起きやすくなっているようです。

恋という甘い蜜に含まれる毒が回ったとき、男は魔物に変わっているという物語だと思うのです。
邪念にとりつかれた男の心は、激しく恋したほど、嫉妬に狂います。
誰の言葉も耳には入りません。
ただ、一度沈んだ地獄の苦しみから解放されるためだけに行動を起こし始めます。
物語を紡いでいるのはイアーゴー。
彼の出世欲から、キャシオーを失脚させるために始まった計略により、誠実な軍人オセローはデズデモーナを疑い、ついには絞め殺してしまう。

デズデモーナの不義は嘘であったと知らされた時のオセローの衝撃は大きい。

物語の真相を知るのは、イアーゴーと神の視点の読者（観客）のみ。
観客は、イアーゴーの犯す悪事を最初から目撃しながら、イアーゴーの悪事がどこまで成功してしまうかを固唾を飲んで見守ることになる。

キャシオー、デズデモーナ、オセローがイアーゴーの手のひらで踊らされるさまをひたすらに見守るしかないもどかしさ。
悲劇の進行をすべて知った上で、オローがようやく悲劇の真相を知るところではじめて、観客は登場人物と真相を共有し、オセローの悲劇を共感することができる。

悪事を冒頭から共有しているだけに、悪としてのイアーゴーに一番人間的な印象を感じる作品であった。 ムーア人であるオセロー戦地で尽力し、ひたむきに国のために戦う義を重んじる将軍である。本書の中でオセロー自身が「戦の庭にあって石を枕に鋼の床と明け暮れしてまいった身にとりましては、今や戦場こそこよなき羽毛の寝床」(PP34 L5-7)
と、語っているように人々にとって彼はまさに非の打ち所のない軍人であった。
 一方このように誠実である男の人生を破滅へと導く人物として描かれているのが、オセローの旗手であるイアーゴーである。彼は、外見はオセローと同じく誠実そうで最も信頼するに足る人物に思われる。だが、実際は地位を得るという私利私欲のために手段を選ばず、妻でさえも利用するしたたかな人物である。
 この物語でオセローを悲劇のどん底に陥れる鍵となる人物はやはりイアーゴーである。彼の悪知恵により、周囲の者は口車にまんまの乗せられ、悲劇が悲劇を加速度的かつ連鎖的に生み出している。とりわけ、誠実なオセローはイアーゴーの進言を傾聴し、次から次へと事実からは程遠い虚言を鵜呑みにしてしまう。それが最悪の結末を招くこととなってしまった。
 この作品で私は改めてシェイクスピアの緻密な作品構成に感服した。オセローの妻への疑心、イアーゴーの策略などすべてが伏線となり、ひとつとして無駄がない。なるほど、これは起こるべくして起こった悲劇であり、他の結末などあり得ないと考えざるを得ない。

 嫉妬の悲劇。高潔で義に厚いムーア人の将軍オセローは、
旗手イアーゴーの謀略・奸智にひっかかって、優しくて
無垢な心の持ち主の妻デズデモーナが不義を副官キャシオウと
犯していると妄想してしまう。


デズデモーナの優しさと広大な愛の心に涙が止まらない。
大詰めのオセローの罪悪感と痛みも、又、悲しい。
悪のヒーローイアーゴーのキャラクターも印象的。

舞台化を意識しつつ、美しい日本語を以て訳された福田恒存氏の
名訳は読むたびに感銘を受ける。読みながら、自分が舞台に
立っているような錯覚を覚えることさえある。

声を出しながら読むことをお薦めしたい一冊である。



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<item rdf:about="http://c-book-011.book-fun.com/detail/13/4003363221.html">
<title>読書について 他二篇 (岩波文庫)</title>
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<dc:date>2010-05-30T22:57:45+09:00</dc:date>
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<description>一流の文章家である氏の思索・著作と文体・読書をめぐる寸言が描かれています。批判的文章の中で「本物」を見極める事を説いています。


「新しきものの善きものたることは稀なり。善きものの新しきものたるこ...</description>
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<![CDATA[
一流の文章家である氏の思索・著作と文体・読書をめぐる寸言が描かれています。批判的文章の中で「本物」を見極める事を説いています。


「新しきものの善きものたることは稀なり。善きものの新しきものたること、つかのまにすぎざればなり。」読書論に関する書物にいくつか触れたてみたがこれほど感銘を受けた本はない。

年１００冊の本を読めるとしても人生の中で読む事ができるのは数千冊が限界。
限られた時間で有効な読書をしようと思えば、「読むこと」の意味について真剣に考えてみる必要があるが、
この本はその意味でとて役に立つ。 以下は本書からの引用である。

「読書は他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。」
「良書を読むための条件は悪書を読まぬことである。」
「書物を買い求めるのは結構なことであろう。ただしついでにそれを読む次官も買い求めることができればである」
「多くの場合我々は書物の購入と、その内容の獲得とを混同している」
「反復は研究の母のなり。重要な書物はいかなるものでも続けて二度読むべきである」
 高校時代に読んだ本だ。３０年ぶりに再読して驚愕した次第である。本書で著者は読書の害を説いている。理由としては二点だ

 一点目。著者は 悪書の多さを嘆いている。売文家が 金が名誉の為に 愚にもつかない本を書き散らかしていると断言している。この状況は そのまま情報過多の現在に通じる。著者の時代と違い、本以外にもＴＶやネットというマスメディアを手に入れた僕らは 更に情報の海に溺れている。その中で 正しい情報にどうやってアクセスすれば良いのか。それが死活的に重要な時代になった。情報の選別をきちんとできないでいると 結局 どこにも行けなくなる。著者が嘆いたのは１６０年前の話だが その嘆きに共感できるということには驚きを感じた。


 二点目。情報を選別し 正しい情報に辿り着いたとしても そこに第二の罠が有ると著者は言う。「読書は他人にものを考えてもらうことである」であるとか「まる一日を多読に費やす勤勉な人間は しだいに自分でものを考える力を失っていく」という警句は現代にしても新鮮だ。本を読むことで 何かを考えてしまった気になることを否定できる人は少ないと思う。


 本書はネット時代の現代になって 本当に精彩を放っている一冊だ。例えば 検索エンジンであるグーグル一つを上記にあてはめても十分考えるヒントがある。
 「検索」とは 良い情報を探すと定義すると 上記の一点目への解決策がグーグルの検索である。
 グーグルの検索結果が「良書」なのかどうかは分からないことは言うまでもない。但し仮に その「検索」が正しいと仮定して グーグルが紹介した情報をどうやって消化するのかが次の課題としてのしかかって来る。この段階では既にグーグルが僕らにできることは無いのだ。考えるのは自分でしかないからである。

 著者は そこで僕らに「それでは皆さんは どのように考えるのですか」と問いかけて来ている。「それにこたえられないなら そもそもグーグルで検索などするな」とすら言っているような気がしてならない。何故なら 考える力が無い人が下手に情報を持つことはしばしば危険だからである。食べ過ぎて消化不良を起こしておなかを壊すくらいなら 食べない方が まだ体に良い場合もある。食べ過ぎで起き病気の数々を考えても良く分かるはずだ。

 情報過多の海を泳ぐ際に 本書を読む意義は大きい。薄い一冊だが 山椒のようにピリリと辛い。僕は気に入ったことが書いてある頁は折って後で読み返す際の印とすることが多いが 本書に対してはあきらめた。すべての頁を折る事には意味がないからである。無闇に多読せず、ふるいにかけられた定評のある本を読め。
読書で他人の思考の後を追うことより、自ら考えることが大切。
文章を書く時は、他人の借り物の言葉で装飾せず、自ら考え、自らの言葉で素直に簡潔に書くことが大切。

本書のタイトルは「読書について」だが、著者の趣旨は、ヘーゲル（また当時のドイツ哲学者、思想家、インテリの多く）がやたら難語使い、新語を作り出し、ひねくった表現で著述する状況への（怒りを伴った）批判と改善・正常化への訴えと思われる。哲学書は難しいですね
でも、この本は最近のビジネス書ブームを予想していたのか(笑)
読書を改めて考えさせられる一冊でした

年に１〜２回程度は読み返したほうがいいでしょう
読書好きなら読んでおくべき１冊だと思います
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<item rdf:about="http://c-book-011.book-fun.com/detail/14/4102020071.html">
<title>マクベス (新潮文庫)</title>
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<dc:date>2010-05-30T22:57:45+09:00</dc:date>
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<description>忠臣で英雄のごとき人であったマクベスが、魔女の預言によって、王を殺しその座を奪います。
魔女の預言、というのが何を意味しているのか。
マクベスは、魔女の預言を妻に書き送ります。妻は、夫であるマクベス...</description>
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忠臣で英雄のごとき人であったマクベスが、魔女の預言によって、王を殺しその座を奪います。
魔女の預言、というのが何を意味しているのか。
マクベスは、魔女の預言を妻に書き送ります。妻は、夫であるマクベスを炊きつけ王位を奪うことに期待します。
福田恆存氏は、解題の中で、「マクベス」について、省略が相当あるのではないかと述べています。
話が飛んでいるので、じっくり考えると何故？という疑問が湧いてきます。
しかし、シェイクスピア劇の面白さは、この省略を巡って演出者が想像力を駆使して芝居を作っていることにある、のだそうです。
マクベスは、王を殺した罪の意識、さらに自分に疑惑を向ける人を次々と殺し、亡霊にとりつかれます。
解題に、マクベスの妻は、王に家族を殺された一族の生き残りである、という歴史的な事実が書かれています。妻の復讐に載せられた男の物語と私には映りました。

王位になることを望んでいた武将は、荒野で出会った三人の魔女の奇怪な予言と夫人の教唆によって野心を実行に移していく。野心に従い王位を奪った後、王位を失うことに対する不安から次々と血に染まった手で罪を重ねていく。 
手に入れられない事に対する恐怖と失う事に対する恐怖。どちらの方がより人を蝕んでいくのでしょうか。 



「その手は食わぬぞ、運命め、さあ、姿を現わせ、おれと勝負しろ、最後の決着をつけてやる！」読むと気分がめいる。
言葉のいいまわしはかっこいいです。シェイクスピアの作品をちゃんと通して読んだのは始めてだ。
三魔女のそそのかしに逆らえないマクベスの弱さが生む簒奪劇。
王権を手にしつつ自分が殺したダンカン王や同僚の武将バンクォーの死霊に悩まされる。

三魔女の存在が暗示するものは、マクベスの野心という名の内なる力と、自分の力ではどうすることもできない運命という外的な力の二つがあるような気がする。
内からも外からも誘惑に負けやすい人間というものをよくあらわしている物語だ。

読み物としては、難解でもなく、テンポもいい。セリフ回しも歯切れがよくて舞台にかけるにはピッタリだ。
むしろ解説の方が難解に感じた。
まぁ、言ってることはなんとなくわかるけど。
とにかく「ハムレット」が対比に使われている。
そうか、そのうちハムレットも読んでみることによう。マクベス。魔女の予言。誰もかれもがマクベスにその手を汚せとささやく。

「きれいはきたない。きたないはきれい」という魔女のなぞの言葉・・・・。

それは完全無欠な人生を歩むには、邪魔者を殺しその手を汚すしかなく、
その手を汚したくなければ完全無欠な人生など歩めはしない(王にはなれない)という強迫なのだ。

それがマクベスの鍵となる文句。その強迫に操られてマクベスは死ぬ。


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<item rdf:about="http://c-book-011.book-fun.com/detail/15/4560047642.html">
<title>キャッチャー・イン・ザ・ライ</title>
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<description>野崎先生の訳の方が良いと評価されていますが､私は村上訳の方をお勧めします。
主人公の社会的反抗的な態度は何も言葉づかいだけ表現されるわけではなく、
ストーリーのなか、場面のなか等をうまく連想させる描...</description>
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野崎先生の訳の方が良いと評価されていますが､私は村上訳の方をお勧めします。
主人公の社会的反抗的な態度は何も言葉づかいだけ表現されるわけではなく、
ストーリーのなか、場面のなか等をうまく連想させる描写力に関しては村上春樹は
ぴかいちと思いますが・・・
何より読みやすいです。ホールデンの言葉にうんざりするもの。
うんうんと耳を傾けることができるもの。
はっきり別れると思う。

これほどまで一方的に話しかけられるとだんだんとホールデンの言葉に酔狂していく。
彼の言葉はカフェインに似た中毒性がある。
ちなみに、僕は完全にノックアウトされたよ。
読後、何とも不思議な気分になった。主人公のホールデン・コールフィールドの過ごしたある一時の日常に自分もそこに立って過ごした気持ちになったし、ホールデン・コールフィールドとやけに親密になった気持ちにもなったし、翻訳されている独特な口調を真似したくなったりした。現在、自分は26歳でこの本を読んだのだけど、十代の頃学校を辞めてしまった同級生はこんな気持ちだったんだろうかと重ねて考えてみた。今の自分と比べてみたりもした。読み始め、正直ホールデン・コールフィールドのことがあまり好きにはなれなかった。変に理屈っぽいし、周りの人間を見下しているし、嫌な奴だなと思った。しかし読み進めていくうちに、彼の方が正常なんだと思えてくる。偽善というものが一切ないから。むしろ、なあなあに流しながら日常を過ごし、それこそその場の気分で「幸運を祈るよ!」に近い言葉を言ってしまう自分がえらく悪人のようにさえ思えてしまった。このモヤモヤした気持ちを、自分以外の読者の感想と照らし合わせてみたくなり、ここのレビューを覗いてみたら……レビューの数の多さにやけに納得した。そういう本なんだ。だからこんなに長い間、世界中で読まれているんだろう。巻末に掲載されている、訳者の野崎孝さんの解説もとても良かった。特に、この独特な口調を訳するにあたってのエピソードが興味深かった。偶然にも、自分がこの本を読んだ数ヶ月前に、作者のJ.D.サリンジャーが亡くなっていたという事実を知り、さらに不思議な気持ちが増してしまった。J・D・サリンジャー｢The Cather in the Rye｣の村上春樹による訳書です。 

訳者による“訳書”というよりも“解釈”が至る所に色濃く現れています。原書に目を通したことはまだないので、忠実に再現されているのかは甚だ疑問ですが、他の訳書も手をとってみる必要性があると思われます。 

学校を幾度となく退学させられる主人公。社会に対して自ら適合することを拒み、虐げられた生活を過ごす。その中で繰り広げられる人間模様が描かれています。 折り合いをつけずに過ごしていく先には、何が待ち受けているのでしょうか…。 


「ある程度長い期間にわたって学校教育を受けているとだね、自分の知力のおおよそのサイズというものが、だんだんわかるようになってくるんだ。それがどういうものにフィットして、更に言うならばおそらく、どういうものにフィットしないのかということがね。そしてしかるのちに、それだけのサイズを持った知力がどのような思考を身にまとえばいいのかが、君にも見えてくるわけだ。そうすることによって君は、サイズに合わない理念やら、似合わない理念やらを試着してみる手間を省くことができる。いちいちそんな試行錯誤みたいなことをていたら、膨大な時間が無駄になってしまうものね。そして君は自分という人間の正しい寸法を知り、君の知力にふさわしい衣をまとうことができるようになる」思春期に読めば共感の持てる内容かもしれないと思った。
文体は面白い。1951年に『ライ麦畑でつかまえて』で登場してからというもの、ホールデン・コールフィールドは「反抗的な若者」の代名詞となってきた。ホールデン少年の物語は、彼が16歳のときにプレップ・スクールを放校された直後の生活を描き出したものだが、そのスラングに満ちた語り口は今日でも鋭い切れ味をもっており、ゆえにこの小説が今なお禁書リストに名を連ねることにもつながっている。物語は次の一節で語りだされる。 ――もし君が本当に僕の話を聞きたいんだったら、おそらく君が最初に知りたいのは、僕がどこで生まれただとか、しみったれた幼年時代がどんなものだったかとか、僕が生まれる前に両親はどんな仕事をしていたかなんていう「デビッド・カッパーフィルド」調のやつなんだろうけど、僕はそんなこと話す気になんてなれないんだな。第1、そんなの僕自身退屈なだけだし、第2に、もし僕が両親についてひどく私的なことでも話したとしたら、2人ともそれぞれ2回ずつくらい頭に血を上らせることになってしまうからね――。ホールデン少年は、教師をはじめとしてインチキなやつら（いうまでもなくこの両者は互いに相容れないものではない）と遭遇することになるのだが、こうした人物に向けられる風刺がきいた彼の言葉の数々は、10代の若者が誰しも味わう疎外感の本質をしっかりと捉えている。
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<item rdf:about="http://c-book-011.book-fun.com/detail/16/4537125675.html">
<title>ハムレット (マンガで読む名作)</title>
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<description>初めてこのシリーズを読みました。
「まんがで読破」シリーズに比べ、絵が見にくい。
ただ、原作の内容はきちんと理解でき、漫画化には成功していると思う。
シェイクスピアらしい、悲劇の復しゅう物語である。...</description>
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<![CDATA[
初めてこのシリーズを読みました。
「まんがで読破」シリーズに比べ、絵が見にくい。
ただ、原作の内容はきちんと理解でき、漫画化には成功していると思う。
シェイクスピアらしい、悲劇の復しゅう物語である。休日のちょっとした時間読んだだけでこんな
名作が読めるなんて！
とてもすばらしいと思います。
私はマンガで読破のシリーズを相当呼んでいますが、
ハムレットはさすがシェイクスピアの作品という
すばらしい内容です。

マンガを読んでいるのに、芸術に触れているような
そんな感じがしました。

おすすめですよ。
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</item>
<item rdf:about="http://c-book-011.book-fun.com/detail/17/4102118284.html">
<title>悲しみよこにちは (新潮文庫)</title>
<link>http://c-book-011.book-fun.com/detail/17/4102118284.html</link>
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<description>高校生の頃に読んだ朝吹さん訳のほうは
内容の強烈さにクラクラして、強烈な読書体験だったが、
妙にひねくった言い回しが多い気がしていた。
でもそれがまた、
フランスの小説を読んでいるという気分にしてく...</description>
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<![CDATA[
高校生の頃に読んだ朝吹さん訳のほうは
内容の強烈さにクラクラして、強烈な読書体験だったが、
妙にひねくった言い回しが多い気がしていた。
でもそれがまた、
フランスの小説を読んでいるという気分にしてくれた。

今回の新訳は、非常に読みやすい。
日本語としてきれい。
また、アンヌのドレスの色がネズミ色から
シルバーグレーに訳が変わった。
このドレスの色がアンヌのイメージの大きなパーツだったので
私にとってはちょっと衝撃だったが、
ドレスの色の表現としては、やっぱりシルバーグレーのほうが良い。
原書ではどんな表現なのだろうか。

というか、初読ではセシルの年齢だったのに、
今はアンヌの年齢より上なのだと思うと
悲しいなぁ。
18歳のサガンが書いた青春小説。ジーン・セバーク主演で素晴らしい映画にもなった。17歳の少女セシルはファザコンで、やもめのハンサムな父を愛しているが、父には、聡明で魅力あふれる42歳の恋人アンヌが現れる。太陽がきらめく南仏の海岸で、セシルは、自分のボーイフレンドを巻き込みながら、父をアンヌから奪い返そうと戦いを挑む。青春のまぶしさ、残酷さ、切なさが交錯する、シャープでニュアンスにみちた美しい文体。河野万里子氏の新訳は、とても読みやすい。海岸ではじめて水着姿になるアンヌを観察るセシルの、少女特有の複雑な視線を、旧訳と比べてみよう。「アンヌは海辺ガウンをつけていた。彼女は、私たちの観察的な視線の前で、平然とそれを脱いで、横たわった。細い胴、完全な脚、彼女にはほんの少しの衰えしかなかった。・・・私は眉毛を上げて、思わず父への賛意の眼差しを向けた。非常に驚いたことには、父は同意の眼差しを返さずに、眼をつぶった」(朝吹登水子訳)。「アンヌは水着用のガウンを着ている。わたしたちがじっと見ている前で、彼女はそれを静かに脱ぐと、そのまま横たわった。細いウェスト、申し分ない脚。ほんのわずかな衰えしかない体だ。・・・私は思わずまゆを上げて、父に称賛のまなざしを送った。ところが驚いたことに、父はそれに応じるどころか、目をつぶってしまったのだ。」(本訳p35)
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<title>赤と黒 (まんがで読破)</title>
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<description>何度も挑戦して読めないでいた小説をマンガにしてくれてありがたい。わかりやすいです。頭脳明晰な美青年が才能を使い成り上がり、最後に墜落する人生にならないためにはよい思想と出会うことと感じました。なんで...</description>
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何度も挑戦して読めないでいた小説をマンガにしてくれてありがたい。わかりやすいです。頭脳明晰な美青年が才能を使い成り上がり、最後に墜落する人生にならないためにはよい思想と出会うことと感じました。なんでも買える日本でしわあせになるコツが書かれてました。読みやすさはありましたが、全体のできとしてはまあまあと言った感じがしました。原作で読むとわかると思いますが、ジュリアンソレルの野心がもう少し出ているといいかなと思いました。まんがで読破シリーズは、いくつか読みましたが、読みやすい絵柄とそうでないのとあります。
この赤と黒は、少女漫画っぽい絵柄で、話の流れを見るのにわりやすく良かったです。
気に入りました。むかし、確かに小説を一度読んだような気がするのですが、ちっとも覚えていませんでした。
しかし、マンガを読んでみると、なんと、これが、よくわかるのです。

あらすじだけでも、ちゃんと頭に入れてしまえば、また原書を読む気になろうというものです。

マンガ化されたことで、ずいぶん近づきやすいものになりました。
原作は、なおいっそうよいものだと思いますが、とりかかりには、本書はいい本だと思います。
恋愛も、友情も、裁判も、何から何まで熱いので、
カルチャーショックを覚えました。
法廷で、ジュリアンが被告人として陳述をする見せ場のシーンがあります。
「……今回の事件は僕の計画性がまねいた悲劇です(以下略)」
この台詞、いいです。私も一回言ってみたいよと、ゾクゾクしました。
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<title>夏の夜の夢・あらし (新潮文庫)</title>
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<description>アセンズの民イジアス老人の悩みの種は、娘ハーミアの結婚だ。婚約者
デメトリアスがいながらも彼女が熱を上げるのはライサンダーという別の男。
相思相愛の二人を何とかして引き裂こうとする彼であるが、デメト...</description>
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アセンズの民イジアス老人の悩みの種は、娘ハーミアの結婚だ。婚約者
デメトリアスがいながらも彼女が熱を上げるのはライサンダーという別の男。
相思相愛の二人を何とかして引き裂こうとする彼であるが、デメトリアスと
結ばれなければ死ぬか一生幽閉のという脅しをかけても彼女は何のそ
の。ハーミアとライサンダーは駆け落ちを計画し、出逢った森での再会を
約束する。一方そのころその森では、またまた妖精の王と王女が仲違いし
ていて…。

新潮社文庫の本巻は、シェイクスピア劇の中でも一番短い部類に入ると
いわれる「夏の夜の夢」と「あらし」の二作を収録。前者が彼のキャリアの
中盤にあたるのに対し、後者は最晩年の作品であり年代的な共通項は
ないが、ともに幻想的なロマン派喜劇であり、「ヴェニスの商人」などの写
実的な作品とはまた異なった、妖精や魔法が飛び交う楽しい世界が続く。

いつもながら、シェイクスピア演劇はその美しい比喩表現がキモだと思う
のだが、今回もそれは健在。「あらし」にてファーディナンドがミランダの父
プロスぺーにその良心を疑われた際にミランダはこう彼を擁護する。

「そのような邪心がどうしてこの方の胸の館に宿りましょう。もし邪な心が
これほど美しい宿に潜んでいるなら、正し心も黙って見過ごしはしまい
ますまい、争ってそこに棲もうとするに違い無い」（第一幕 第二場）

うーむ、一度はボクもこう言って彼女に擁護されてみたい。

解題に寄れば、原題の「Midsummer night」を直訳すれば「夏至の夜」と
なり日本語的に全くロマンチックでないので付けたのがこの題だと言うが、
作品のムードをうまく伝えるいいタイトルだと思う。ユーミンに「真夏の夜の
夢」というヒット曲があるが、おそらくあれはこのシェークスピア喜劇の名を
パロったタイトルなのだろう。ただ本作とその歌詞にあまり関連はない。
私はシェイクスピアを読むことは得意ではない。強く激しい情緒が、私には刺激的すぎて、自分の様々な体験を思い起こしたり、心の底から揺さぶられたりして、苦しくなるからだ。『夏の夜の夢』も同であった。しかしもう一度読んでみた。すると、楽しくさわやかな気持ちになると同時に、私たちの４次元空間がぐにゃりと歪むような感覚に陥った。今自分のいる場所が、夢なのかうつつなのか、その中間なのか、私の思考や感情は、私のものなのか、妖精のいたずらなのか、、、。それらが、単なる想像の延長線上にある、うたかたであり、まやかしであったとしても、それは閉塞感でも絶望感でも孤立感でもなく、シェイクスピアの手にかかると、人間のおかしみとして感じられたのが、味わい深かった。妖精の女王タイターニアと、人間の世界の恋人たちに
妖精パックが魔法をかけるが、手違いで奇妙なことになる「夏の夜の夢」と、

追い落とされたかっての王が、元の地位につこうと魔法をふるい、
その娘と、互いにひとめぼれした王子の恋が
すべてを大団円に導く「あらし」

二話とも、人間の世界と魔法や妖精の世界がまじりあう幻想的な雰囲気と
登場人物たちの心情のリアルが
美しい文でしあげられています。
ちょっと強引な大団円ですが、あらしのラスト、エピローグは
ちょっとした仕掛けになっていて、すごく好きです。

今の季節に読みたい一冊です。『夏の夜の夢』は素敵な戯曲です。四人の若き
恋人達のドラマ、妖精たちの幻想的な物語、そ
して職人達の芝居修業という、三つの筋が夏の
夜の森の中で展開します。
タイターニアに仕える妖精、豆の花・蜘蛛の巣・
蛾・辛しの種が可愛い。
読み終えると「ハーモニー」の感覚が、読者の
心を満たし、「幸せ」を実感させてくれます。

子供の頃、『あらし』の和訳を読んだ時、ラスト
でプロスペローが魔法の杖を折ったことに、「何
故？」と思ってしまいました。
「昔の悪事を許された人たちが、これから翻意し
たらどうなるだろう！近く結婚するミランダと
ファーディナントの為にも、魔法の杖を持って
いるべきでは！」等と考えてしまったのです。
今思うと、当時の自分の感想が恥ずかしいです。

プロスペローは自分の意思で杖を折った。
魔法の使い手でもなければ、妖精を自在に動かす
存在でもなく、有限な存在である自分自身を受け
入れたかったのだとしみじみ実感しました。
そこに彼が最後に求めた、「身の自由」があった
のだと思います。

作者シェイクスピアが単独で書く戯曲としては
これが最後。プロスペローに自己の心境を託した
ことが窺えます。「夏の夜の夢」にも「あらし」にも、妖精が出てくるが、
それが現実にいるかのようなリアリティーがある。そ
して、どちらの話もハッピーエンドで終わるのが、う
れしい。シェークスピアの目には、妖精が、魔法が、
見えたのではないかと思ってしまうほどのできばえである。
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<title>ロミオとジュリエット (新潮文庫)</title>
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<description>シェイクスピアの物語は、いろんな場所や場面で出くわしますので、何かのきっかけで突如がむしゃらに読みたくなってくる時があります。突然、牛丼が食べたくなったりハンバーガーが欲しくなったりするのと同じよう...</description>
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シェイクスピアの物語は、いろんな場所や場面で出くわしますので、何かのきっかけで突如がむしゃらに読みたくなってくる時があります。突然、牛丼が食べたくなったりハンバーガーが欲しくなったりするのと同じような欲求なのでしょうか。この作品を読んでみて感じたのは、文学とは自分自身を映してくれる鏡のような存在でもあるのだな、ということです。若い時期に感じるのは、命さえも惜しくない若者の恋心への共感や仇同士の家に生まれた悲しみに他なりません。月日が経って感じたのは、若者の恋は周囲をを見えなくしてしまうほどの危険と滑稽を孕んでいることや、年寄りはいつの世も若者の邪魔ばかりしている、といったことでした。悲劇的に感じるよりは、人間というものの喜劇性、愚かさがより強く印象として残りました。そして、翻訳者のご苦労も感じ入りました。それは、１８ページにも渡る「注」で確認することができます。古臭い表現や仏教用語が使われたり、変な感じを受ける訳もないわけではなかったのですが、注を読むと、意図するところが理解でき、好意的に読み進むことができました。次にこの作品を読んだとき、また違った風に語りかけてくれるように思えます。読み終えた後、筋を反芻してしまう作品です。これがシェイクスピアの魔法なのでしょうか。あまりにも有名なこの作品。 
展開は知っているけれど、ロミオやジュリエットが 
どんな風に話すのか、周りの人間がどんな人物像なのか、 
知らないこともたくさんあって、 
わかっていながら案外楽しめたと思う。 

特に、ジュリエットの父が、彼女の結婚を勝手に決め、 
彼女が断る場面が面白い。 
父の取り乱しようときたらない。 
あそこまで子供みたいに怒るとは、 
まさしく子供の様。 
母の冷たさもさることながら。。 

結局は自分たちに悲劇が降りかかってくる。 
ロミオとジュリエットは、彼らに反省を促すための 
駒にすぎなかったのかもしれません。 

また別のシェイクスピア作品を読んでみたいと思った。ロミオとジュリエットの悲劇的な恋愛が描かれています。

「ロミオ」がモンタギュー家の「ロミオ」でいなければ･･･。

訳（文章）に関しては、とても読みやすく、
読んでいて、どんどん引き込まれていくものでした。

あくまで個人的な感想ですが、
ストーリー展開は、
ありきたりなものでしたし、
ロミオとジュリエットの恋愛は、
青臭く、子どもっぽい印象をうけました。

おもしろさはわかりますが、
私の趣味には合いませんでした。

趣味が合えば、繰り返し読みたくなると思いますが、
評価としては、星４つとさせていただきました。仲の悪い二つの家のひとり娘とひとり息子が恋に落ちたら。
シェイクスピアの時代よりも古代からある物語のテーマを、シェイクスピアがテンポ良く演劇用に構成しなおしている。

分かりやすい象徴的な性格設定の人物を配して、テンポのいいセリフ回しで、劇的効果を狙っている。ロミオとジュリエットが出会ってたった5日間の短期間の物語に時間設定を変更している。
ここのところは翻訳者である中野好夫氏が解説しているので読んでみるとおもしろい。
現代風の小説を読むようにして読むと、型にはまりすぎているようで、面白みがなさそうに感じてしまうが、劇を見ているような気持で読むと、はしばしの演出がなるほど舞台映えしそうだなと感心してしまう。

この翻訳版では、こみいった地口、シャレの部分は、直訳ではなく、日本語を使ったシャレの形で翻訳者が雰囲気の再現を狙っている。これはこれで、変な直訳の文章を読まされるより良かった。
これは喜劇の要素が強いと思う。

 シェイクスピアには４大悲劇がある。ハムレット、リア王、オセロ、マクベスだ。この４つも各々味わいは違うが 一応 人間の愚かさを見据えている点が共通している。シェイクスピアの悲劇とは 「登場人物が可哀想」という事ではなく「人間が不毛である」という突き放した視線にある。彼の悲劇くらい 泣けないものはなく 暗澹とするだけである。

 それに比べると シェイクスピアの中でも人気の高い本作は 喜劇である。簡単に言い切ってしまうと 誤解したカップルが頓死するどたばた劇ではないか。この話であれば 人間の不毛性というよりは「登場人物が 間抜けだけど まあ 可哀想」ということかと思う。人によっては泣けるでしょう。

 すくなくとも 書いているシェイクスピアが 冷笑しているような気がしてならない。
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